仏教と神道の使い分けは明治から始まる。

だいたい、神道は、キリスト教のようなものがあると日本を支配しやすいと悩んだ伊藤博文が、欧米視察のときに、英国人の学者から、日本には天皇がいるじゃないか、とアドバイスされ、そのアドバイスから始まっている。つまり、神道とは、西洋化の一つの形態であり、日本の伝統というより、西洋である。
その「西洋」である神道には、水戸学派という国体思想が、そもそも、下地にあり、西洋と水戸学派の合体が神道である。
神道により、日本人を洗脳しようとしたが、もともと、檀家制度により、仏教に組織されていた日本人は、使い分けを始めた。祖先の霊を敬うのは仏教、それとは別に神という抽象的な存在を信じるときは神道。この使い分けを明治以降、行い、戦後は、クリスマスだの、バレンタインだの、使い分けのバリエーションが広がる。日本人が信用されないのは、この使い分けにある。

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