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1.17を思い出す

私は兵庫県に在住していて、これは生まれてからずっと変わっていない。
つまり、阪神淡路大震災の経験者である。
今日で被災から27年だが、だんだん記憶は薄れていっているものの、やはり鮮烈な体験ではあったので、その日のことやその後のことを思い出して書いておこうと思う。

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午前5:46。
普通ならぐっすり眠っている時間のはずだ。
だけど、何か知らないがそのときは軽く目覚めていた気がする。
布団の中にはいたけれど。記憶では揺れが始まる前に起きていて、意識がある状態で地震の始まりを認知していたはずだと思う。でも昔の記憶なので当てにはならない。

覚醒していたとはいえ、とにかく意味がわからなかった。
凄い音と共に部屋が縦揺れしている。ベッドも勉強机も揺れながら横移動してる。もちろんこちらは動くことができない。ただただ治まるのを耐えるしかない。どれくらいで止まったのかは覚えていない。凄く長く感じたのは覚えている。「まだか?まだ終わらんのか?」しか考えてなかった気がする。

ようやく止まった後、周りの家具の配置が換わったのかというくらい机などが移動しており、階下のリビングの惨状が思い浮かんだ。電気は勿論付かない。まあ、仕方ないということでまずは家族の安否確認。家具の配置と部屋の広さ的には箪笥などが倒れて押しつぶすことはないので、家が倒壊さえしてなければだいたい死んではないだろう、と思って見に行った。案の定誰も怪我はなし。
リビングは無惨なことになっていた。食器という食器が全て棚から落ちて粉々になっている。収納棚は当然のように倒れている。まああんな揺れだったので余震もちょこちょこ来てたので片づける気力は誰も起きない。というかそんなことしてる場合でもない。でも当時は電気が止まれば情報をテレビから得ることもできない。電池入れたラジオから情報を得るしかない。まあ付けてもまだ情報錯綜していただろうしどうしようも無かっただろうけど。それでもなんとか情報を得たかった。それを考えれば今は便利な時代になったもんだ。東北の震災の時には安否確認ある程度はできたもんな。

未曽有の地震だったので多くの人は恐怖で動けなかっただろうけど、好奇心旺盛な年齢、当時14歳だった私は外がどうなっているのかが凄く気になっていた。なので、着替えて少し外の様子を見に行くことにした。余震もだいぶ無くなってきてたので、静かに外に出てみた。
すると、何かいつもと違うにおいがする。なんだこれ、どっか嗅いだことがあるけど…あっ、ガスのにおい!!!そして、地面を見ると、地面がところどころひび割れているのを確認した。ここからガスが漏れていたわけだ。

次に気になったのは友人たちだが、まあ連絡とる手段なんかあるわけでもなく…となれば「とりあえず学校行ってみるか」となった。親からは「学校なんてやってるわけないでしょ」と言われたが、まあ一応学校行く時間にはなったので、とりあえず行ってみるわと言って学校へ行ってみた。
校門までいくともちろん生徒は皆無だったが、先生はいた。けど、勿論だが「今日は帰れ」と追い出された。ちらっと学校の様子を見ると、窓のガラスというガラスがバキバキに割れていた。「ここが聖蘭高校…!?」ってなるくらいにはメチャクチャだったように記憶している。

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とにかく、電気も復旧しないし、不用意に動けないし、やることもない。家が倒壊したわけではなかったので、避難所に行くということも幸いなかったので近くの祖父母の家に身を寄せ、その日はコンロで非常食を食べてやり過ごしたような気がする。その夜のことはなぜかあんまり覚えていない。というかそこから数日間のこともあまり覚えていない。何もできなかったから、なのだとは思う。ラジオはかろうじて聞けたけど、まあ大体安否確認情報だったし。

電気が復旧したのはどれくらいだったか…でも学校がすぐには再開しなかった(避難所にもなっていたので)ので家にいるしかなかった。こんな状態で不謹慎かもしれないけど、と思いながらも暇なのでずっと当時ハマっていた「ウイニングポスト」という競馬ゲームをひたすらやっていた。おかげで凱旋門賞3連覇を果たす馬を作れた。震災で唯一あったいいことかもしれない。コロナ禍でもやることはないのでゲームや書籍がバカ売れしたらしいので災害時というのはどうしても何もできなくて暇を潰すモノが必要となる。

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少しずつ町が復旧していき、学校も始まった。
家が倒壊した、って人もいたが、私が住んでいるあたりはあまり酷い被害にあっている人は多くなく、知り合いで命を落としたという人もいなかった。

けど、少し場所がずれていたら?もしかしたら死んでいた可能性もある。
皆さんご存じの通り、数字で見たら全体の被害としてはあまりにも甚大だ。この地域がたまたまエアポケットのようなところなだけだったのかしれない。もしくは自分が知らないだけで目を背けたくなるような被害にあった人も案外近くにいたのかもしれない。戦争などでも戦火の度合いが異なる場所に配置されたら戦争に対する主観的な感じ方がそれぞれ大きくことなるだろう。


なので、今五体満足で生活できていること自体に感謝である。

そして、こういうことがあったということが誰もが伝えられる便利な時代に生きられていることに感謝



なんとなく思い出して文章を綴ってみた。
こんな感じだったんだな~と少しでも伝わったなら幸いだ。




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