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比嘉秀仁の天鳳歴史①

2008年末、比嘉秀仁は燻っていた。


2007年、麻雀プロの世界への挑戦をしようと日本プロ麻雀協会の門を叩き、最初のリーグ戦(C3)で1位昇級して「イケるな...」とか天狗になりかけていたものの、その後はなかなか昇級もできず、リーグ戦や大会に出るのを繰り返してはいたが、「このままでいいのか?」と自問自答する日々であった。せっかく麻雀プロという非日常を手に入れたのに、ただ麻雀に興じているだけで何にもなっていない。事実、麻雀プロになったもののこのようなリーグ戦や大会に参加するだけの日々に疑問を持ち、プロ団体を退会する者も毎年いたのではないか、と思う。


彼らと同じルートを辿ってもおかしくなかったが、やはり麻雀プロになれたのにこのままやめるのはもったいないし、プロとしてどうあるべきだろう?と悶々と考えていた2008年の年末。

音楽を聴きながら、ふと思い出したことがあった。

それは私が少年時代からよく聞いていたバンド黒夢の清春の言葉だ。

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私が黒夢にはまっていたのが15-18歳くらいのときだったのだけれど、ちょうど好きになったくらいの時に雑誌のインタビューでこんなことを言っていた。

「プロは売れてなんぼ。売れなければ意味がない」

彼らはそのときビジュアル系ロックからポップ系に方針転換してルックスを大きく変えた。その大きな変化でもちろんファン層は大きな衝撃を受け、賛否両論あったのだが、清春は「我が道を行く」とそのまま突き進んだ。その後も見た目も音楽性も変化させながらも自分の道を貫き続けていたのでずっと「かっけえ...」と憧れを抱いていたものだ。

私も「麻雀プロ」であり、プロであるのなら売れなければならない。じゃあ、プロとして大勢の人に名前を売る(有名になる)にはどうしたら...?


そこで私が目を付けたのが、インターネット麻雀(別名愛すべきクソゲー)、天鳳だったのである。


当時、ネット麻雀はいくつかすでにあった。有名どころだと東風荘、ハンゲームなどだ。しかし、2008年当時もっとも盛り上がっていたのは天鳳だ。近代麻雀等の執筆で有名な福地誠先生がブログで扱っており、にちゃんねる(現ごちゃんねる)でのことを記事によく書いていたので当時の天鳳プレイヤーがそこに集まり賑わっていたのだ。また、天鳳をプレイしていた麻雀プロはほとんどおらず、いたとしても公開してプレイしていた人は稀であった。

「これはチャンスだ...」

そう考えた私は、2009年1月1日、メディアが必要だと判断した私はブログを開設し、天鳳をプレイし、ブログに牌譜を公開する記事を書き始めた。これが比嘉秀仁の天鳳歴史の幕開けなのである。


比嘉秀仁の天鳳歴史②に続く。



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