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つれづれの余白に

毎日続けるために、気楽に書いていこうと思い、あまり重い文章を書いてしまったのか反省しています。

私は、1970年、大分の湯布院の隣の庄内町で、母が帰省している時に生まれました。私の一族は、大阪の茨木市に住んでいます。育ちは茨木市です。

茨木市は、隠れキリシタンの里があり、隣の高槻市はキリシタン大名の高山右近が活躍していた土地で、川端康成が名誉市民です。このキリシタンの里からフランシスコ・ザビエルの肖像画が発見されました。教科書に載っていたものです。

茨木市には宗教団体がいくつもあり、浄土真宗の寺院が一番多く、その次に神道、創価学会、ものみの塔、モルモン教、イスラム教、天理教、幸福の科学、プロテスタントのいろんな宗派、カトリック教会などなどがあります。ちょっとした宗教博物館です。

さすがに京都よりも規模は小さいですが、宗教を信仰している人が多い土地です。
だから、さまざまな宗教からの勧誘が昔からありました。

一番しつこかったのが、創価学会とものみの塔です。モルモン教のアメリカ人も来ました。私の家の宗教は浄土真宗大谷派、東本願寺です。

皆さんも知っているように、江戸時代に、家の宗教を固定化する事を制度として義務付けられた檀家制度ですが、キリスト教を退けるために作られたのも知っていますよね。

私は神社も気軽に行っています。宗教は古代のテーマパークです。
神道の魅力は古木などの自然を残しているところです。
古代のアニミズムと、ギリシャ的な血統の神、天照大神などの神話が混淆して作られています。
しかし神道の目的は信仰者を集めるのではなく金です。

ご利益信仰は仏教、キリスト教、神道に見られます。

みんな、お金が欲しいと正直に言わないところが宗教です。

宗教は道徳を形成するためのもの、だから必要。とは言いますが、

しょうもない、どうでもいい道徳を押し付けてくる宗教があります。

人間にとって大切なのは倫理です。
道徳は個人個人で違うから押し付けるものではありません。
モラハラという言葉があるように暴力に結びついてくると、
道徳はどうしようもないものになります。

聖書において道とは、心を慈悲に向けよということで、キリスト教や、ユダヤ教に改宗せよというわけではありません。

出エジプトには石の板にトーラーと掟を置いたとあります。トーラーは方向性、指示という日本語です。慈悲への方向性を持つ精神という意味です。

人を殺してはいけないは、自分が死んでも人を殺してはいけないという事を表しています。

皆さん、まともな世界が、聖書にはあります。キリスト教は著作権を侵害している悪人集団です。キリスト教、ユダヤ教には気をつけてください。他の宗教も。宗教はほとんどはカルトです。自分を信じればいいです。

自分を信じて心を探究すること、そうすれば道は開ける。狭い門から通ってください。

今日はこの辺で書き終わります。



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