部落問題の周辺のこと
私は、なぜ、部落の人から、反差別論を展開するような思想家や、知識人が現れないのだろうかと、考えていた。部落のひとの、識字率が低いということは最近知ったのだが、私よりも、お金持ちの、部落の人もいるのだから、勉強して、努力して大成する人がいてもいいと思う。部落の文学者としては、まず、中上健次さんがいるが、反差別論を書いてはいない。
部落のなかから、差別現象を捉えるのは難しいのだろうか?部落の出身者で、京都大学卒業のひともいるから、部落の人の能力が低いとは思えない。部落のひとは、差別というものがあるから、食べることが出来ると言う人もいる。同和利権など、逆差別だと言われてしまうこともある。私たちが、部落問題を解決をしようとしても、部落の人の荒々しい性格によって、怒鳴り込んできて議論にならないことがあると言われている。どうすれば、差別する人と、部落の人の間の隙間が埋まるのだろうか?部落の人は、差別がなくなればいいと真剣に考えているのだろうか?現在、残存している差別は、大企業による、就職差別だと聞きました。人々の意識には登らなくなっているが、いぜんとして、部落差別の意識を持っている人はいます。部落の人は、人々が避ける、穢れが伴う職業についているが、それだけお金も貰えることがあると思う。部落の人は、優遇されているから、努力しなくても、お金が入る、という話もあります。だから、部落差別問題を解決することなく、あった方が、飯のタネになる。そう考えているのであれば、私たちが、部落の人の人権や、部落差別を考えること自体、徒労に終わってしまいます。
私は、部落問題の本は、出して無いので、この問題で、食っている人間ではありません。
しかし、部落の土地に行くと、ひとが1人も通らない、寂しい土地という雰囲気があり、重い土地という印象があります。
私は、角岡伸彦さんという部落の作家さんがいますが、この人の部落問題の本をよく読んでいますね。
差別はなくなった方がいい。これは私の意見だけど、部落の土地のひとは、どう考えているのか。差別されて、心が傷ついて、自殺する人もいる。これは、部落の土地の人も分かっているはずです。
部落問題は、解消しなければならない。
そのためにも、部落問題を考えるボランティアを、私はしているつもりです。
拙い文章ですが、出して置きます。
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