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サンフランシスコ駐在代表になった


1991年

踊る食感プロデューサー サンフランシスコ赴任編

21歳で広島大学工学部から経済学部へ転学部
それと同時に設立まも無い広島の外食企業 (株)フジイフーズシステムに幹部候補として学生社員として入社した。

店長や新店立ち上げ等を経験し、25歳の秋、大学卒業し年明けから、サンフランシスコ駐在代表として赴任した。
といっても、平日は学校(マネジメントカレッジオブサンフランシスコ)で、ホテル&レストランの経営の勉強。夜と週末は、レストランの視察に出かけた。

ミッションは、
1.レストランを視察しレポートを提出。
2.日本で使える備品や調度品を探す
3.M&A候補を探す。

赴任前の半年間、ベルリッツのマンツーマン講座に通ったが、上達しなかった。サンフランシスコに赴任してからも、英語が上達したかといえば、ダメだった。でもコミュニケーションやレストランでのオーダーや質問にはあまり困らなかった。成果といえば、どこの国だって生活できるという根拠の無い自身がついたくらい^_^


写真は右の女性が校長先生。インターンで入るレストランの相談と、M&A候補企業の相談だったと思う。

その頃日本では、よく態度がデカイと叱られてたが、海外では気にせず自分でいられて楽だった^_^

ちなみに、視察のため、週の半分くらいレストランに行ったから、本社から送ってもらうお金が直ぐに底をつき、毎月のように送金依頼をしていた。

総務部長を困らせたなー

一年で行ったレストランは延べ200店くらいかな。気に入って何度も行った店もあるけど。

それらはかけがえの無い財産になってる。

ほんとありがたい。
採用を決めてくれ、子供のように可愛がって指導して頂いた今は亡き菅久副社長
いつも笑顔で見守って頂いたオーナーの藤井社長
改めて感謝感謝です。

#サンフランシスコ生活 
#アメリカ赴任  #アメリカ留学生活
#踊る食感プロデューサー

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