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ミラノのレストランを日本で開業か!?



至福のイタリア視察旅行 ミラノ編

30年前、サンフランシスコのホテル&レストランのマネジメントの学校に1年間、会社から留学させてもらった。
その間に、日本でイタリアレストランを開業する事になったらしく、勝手に視察のため一人イタリアへ。

アメリカに暮らして8ヶ月経ち、海外に行く事に対して、精神的ハードルが低く、エアチケットだけ購入し、1週間ほどの視察旅行に出かけた。
当時、俺の役職は、サンフランシスコrepresentative(駐在代表)であった事もあり?広島本社には許可も報告もせずサンフランシスコから消えたから、後日、こっぴどく叱られた^ ^
それでも、これは仕事だという意識が強く、飛行機代、ホテル代、レストラン代を会社と交渉して経費で落としたと記憶している。

旅の行程は、ミラノ、ベニス、フィレンツェ、ローマと4大都市を南に高速鉄道で移動し、ローマからサンフランシスコへ帰路。

ホテルは最初のミラノだけ予約して、次に行く都市の前日に電話で予約。といった、行き当たりばったりの少しお金があるバックパッカーみたいなイメージだ。

初日、ミラノの街を散策し、翌日の高速鉄道チケットを買いに駅に行ったが、
全く英語が通じない、みんな不親切だ。
イタリアなんて嫌いだ!
と初日から最悪な気分に落ちたので、気分を変えるためにもホテルで一寝入りする事にした。

しかし、ホテルといっても窓もなく狭い、まさに独房。そんなにケチった金額では無かったはずだが、普通のイタリア庶民のホテルってこんなもんなもんなのかー またまた凹んだが、
時差ボケもあってか1時間くらいぐっすり眠った。

起きたら、何故か気分爽快。
ガイドブックで予め気になってたレストランに足を運び、ピンときた店に入った。
遺跡を修理して作ったような店で、テンション爆上がり。

ツアーでもない一人日本人客がふらっと入ってきたから、注目されただろう。
しかし、またも英語が通じなくて、ウェイターめ!感じが悪い。

そうか! 持っていた6カ国辞典を出して頑張ってイタリア語で話しかけてみたら、

態度が急に変わり、めっちゃフレンドリーになった。


ちなみに、隣にいたギリシア人のお客さんから、英語はあまり使わないほうがいいよ。我が物顔のアメリカ人は嫌われるから
ってアドバイスしてくれた。
それ以来、この旅では、ガタガタのイタリア語で楽しくコミュニケーションをとる事ができた。

食事を終えて、海外で俺のお決まり、厨房をみせてほしい。シェフに会いたいって伝えた。

そしたら、厨房どころか、店の奥の部屋に通され、オーナー始め、色んな人がゾロゾロやってきた。

興味深そうに色々聞いてきた。なんでここに来たんだ?などなど

来年、日本でイタリアレストランを開業するから、その視察。この店がピンときたから入った。と答えた。

そしたら、ローマのサバティーニ知ってるか? 東京に店出して成功している。俺たちも東京に出たい。一緒に組まないかって?

おー面白いな‼️ 凄い引き寄せだ

って思った矢先

東京だろ?


いや、広島だよ


、、、、
急にシラケムードになり、
オーナーや色んな人たちが消えていった。
残ったウェイターと写真を撮って帰った。

若い時から、海外のレストランでは制限無く自分をだせていたからか、こんな体験は沢山あり、それぞれ今でも鮮明に記憶が蘇る。

あ、ここでの料理は記憶も写真も無い。
おそらく、東京出店は夢に終わったんじゃないかな?

ちなみに、そのサバティーニは今でも青山で続いている。

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