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砂漠の知恵 #スロー・フロー・ブログ

川がありました。
その川は遠い山から始まり、村と野原を通って
とうとう砂漠にたどりつきました。

川はすぐにわかりました。
砂漠に入ってしまったら
自分の存在は消えてしまうということが。

そのとき砂漠の真ん中からある声が聞こえてきました。
「風が砂漠を渡れるように、川も渡ることができますよ」

川は首を横に振りました。
砂漠に走っていこうものなら
川の形は跡形もなく
砂の中に消え去ってしまうでしょうと。
風は空中を飛べるから
難なく砂漠を渡ることができるのでしょうと。

砂漠の声がいいました。
「その風にあなた自身を任せなさい。自分を蒸発させて風に乗るのです」

でも恐れるあまり川は
どうしても自分の存在を捨てられませんでした。
そのときある記憶が思い浮かびました。
いつだったか風の腕に抱かれて運ばれていった記憶が。

そうして川は自分を蒸発させ
風のやさしい腕に包まれました。
風は軽く水蒸気を抱いて舞い上がり
数百里離れたむこうの山頂まで行くと
そっと大地に雨を落としました。

そうして川が旅する方法は
砂漠の上に書かれていると
言い伝えられるようになったのです。

スーフィズム ( イスラム神秘主義 ) 寓話詩

今日は、美しいなぁと感じた詩のシェアをさせていただきました。

前に見えている光に向かってただ歩けばいいのに、暗闇がこわくてもがけばもがくほど、体にまとわりついたいろんなものを取り除く作業にエネルギーを使う羽目になりますね!

違和感があることやしっくりこないこと、無理してやることをして唯一学べたのは「そんなことをしてもいいことはないということ」。

ほんと、それだけでした(笑)

僕にとって “写真” ってなんだろう、 “音楽” ってなんだろう、 “ほんとうにやりたいこと” ってなんだろうと、表現の “対象” に照準を合わせれば、答えのような答えが見つかることはあっても、そこに実態がないし、次の瞬間には変わっています。
だから、よりどころにすべきはその対象ではないんだろうなと思います。

もしかしたら、「よりどころにするものを見つけなくちゃいけない」とか「何か意義のあることをしなければいけない」という思い込みを手放していくことで、大切なことに気づいていくのではないか。

そんな気もしています。

自然農法の生みの親である、福岡正信さんは「何ができるかよりも、何をしないでいいか」を追及し続け自然農法を発見したそうです。

ここ数日間で自分自身の内側でおきた変容が、僕という乗り物の車窓から見える外側の世界にどのように映し出されてゆくのか楽しみです。

読んでくださっている方には、この静かなワクワクを感じ取っていただけているのかまったく分かりませんが(笑)

ではみなさま、今日一日も休み休み楽しんで。
いってらっしゃい!

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noteを読んでくれてありがとう! 僕らしく、優しさのリレーをつなぐよ。