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恐怖と勇気

自分にとっての恐怖は何か。


日常の恐れ、自らに備わった防衛本能が自分の成長欲求を満たすことを妨げていることにようやく気付いてしまった。

それは「志嗜好」の自分には余りにも些細で、気にするには取るに足らぬこと。

ずっと脳裏の自分が却下していたみたい。


「こんなイカれた恐れなんかこの地球上に存在するかっ!」て。自分でそのお題をあまりに過少評価していたんだ。

それは、怖い、怖い他人の目。

嫌な思いや失敗を繰り返すうちに人を警戒する様になる。でもそうすると自分の成長が止まってしまうんだ。八方ふさがりで行き場がない。進もうとすると、恐怖に眼を白黒させてのたうち回っているんだ。

三島由紀夫の『行動学入門』からよい言葉を見出した。当時の日本赤軍派が待機に耐えられなかったこととベトナム戦争の兵士の様子に触れている。

「長い待機の時間はことばではないのである。行動とことばとの乖離が行動を失敗させるように、ただことばや観念で待機に耐えようとする人間は必ず失敗する。-----

行動がことばでないと同様に、待機もことばではない。それはただ濃密な平板な、人生で最も苦しい時間なのである。石原慎太郎氏に『待ち伏せ』という小説がある。ベトコンの攻撃に備えて待ち伏せする米兵の姿をかいたものであるが、あのベトナムの暗い闇の中で、死の不安に晒されながら待ち伏せしている兵の心理は、この短編にまざまざと描かれている。攻撃に移れば、あるいは勝つことがきまっているかもしれない。しかし待ち伏せの間、人は受け身で幼児のように不安で孤独である。我々は行動しているときは勇気を持つことができるが、そのような受身の状況で勇気を持つことは難しい。しかし、あの死と不安の闇の中で待ち続ける勇気こそ、行動にとって最も本質的な勇気なのである。われわれは、一つの時代を闇と考えることも、光と考えることも自由であるが、その中で真の勇気とは何であるかを考えるならば、我々の行動が何であるべきかも、おのずから明らかになるに違いない。」

我々の行動は何であるべきか。

今、自分が最も恐れているこの恐怖。どっぷり浸かって突き抜けよう。たかだか毎日の恐怖に慄いたって、戦場で死ぬわけではないでしょう。肝を据えて、ぎぶあっぷだ。

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