見出し画像

〜女川〜 "復幸"への歩み

はじめに

女川(おながわ)町をご存知でしょうか.宮城県の太平洋沿岸、石巻地方に位置する、人口6,000人ほど(2024年現在)の町です.

女川町の位置

牡蠣やホタテ、銀ザケなどの海産物に恵まれ、
秋には「おながわ秋刀魚収穫祭」が行われます.

夏の祭り「海上獅子舞」

そんな女川は、2011年の東日本大震災で甚大な被害を受けた町でもあります.

震度6弱の地震とともに、14.8m(県内最大)の津波が、町を襲いました.
建物の9割が流失・損壊し、827名の方が亡くなりました.

現在に至るまでの、女川の"復幸"の歩みを、
2024年春に女川を旅した際の写真とともに、
お伝えできたらと思います.


1. 若者主導のまちづくり

2011年3月11日、女川町は壊滅的な被害を受けましたが、
その後の動きは特徴的なものでした.

4月19日には、2階建てのプレハブに
「女川町復興連絡協議会(FRK)」が設立されます.

そこで商工会長の高橋氏は、こう宣言したのです.

「還暦以上は口を出すな」

・津波で壊滅状態になった女川の復旧復興には10年
・その成果が出るのにもう10年
20年後のまちの責任を取れる、若者世代に託そう.

このメッセージが、若者主導の復興を促すこととなりました.

2. いち早い商業の再開

震災2ヶ月後の5月4日には、「おながわ復興市」が開かれます.
7月1日には「おながわコンテナ村商店街」、
翌年4月29日には「きぼうのかね商店街」へと発展.

国の支援を待つのではなく、民間で取り組んだことにより、女川の商業復興は、他にないスピード感で進みました.

これら仮設商店街が、現在の商店街「シーパルピア女川」への出店にも繋がったそうです.

商店街「シーパルピア女川」

3. 女川のまちづくり計画

次に、女川のハード面でのまちづくり計画について、二つのポイントに絞ってお話しします.

①防潮堤のないまち

女川の特徴として、「防潮堤がない」点が挙げられます.
これは海と共に生きてきた地元の人たちの、「これからも海と共に」という希望であり、決意でもあります.

Cエリア(後述)からの眺め

具体的には、階段状の盛り土が行われています.
4段階で嵩上げをし、各エリアごとに異なる用途を割り当てたのです.

Bエリアの高さはいわゆる「L1レベル」(数十〜百年レベルの津波を想定)

②「生活軸」と「眺望軸」

前者は「住民の動線を集約する」、後者は「どこからでも海が見えるようにする」発想です.

まず「生活軸」ですが、女川はコンパクトシティの代表例.
あらゆる公共施設や商業施設、小中学校までもが駅前エリアにまとめられ、住民がまちの中心部に集まるようになっています.

次に「眺望軸」について.町民と話し合いを重ね、「すべての家から、海の見えるまちづくり」というコンセプトに沿って、道路や宅地が設計されました.

災害公営住宅から.奥に女川湾を望む.

おわりに

女川ではこれまで、"復幸(ふっこう)"が目指されてきました.
ひとりひとりが「幸せを取り戻した」と感じるときを、復興の真のゴールとしたのです.

最後に、YouTube上の、女川の方を取材した動画をいくつかご紹介します.

・高松康雄さん
https://www.youtube.com/watch?v=jO0gvb6iXDI&t=10s

奥様を探し、今も海に潜り続けていらっしゃる方です.

・阿部真奈さん
https://www.youtube.com/watch?v=Z9C2SOSHi7s

2016年に閉局した臨時局「おながわ災害FM」のアナウンサーの方です.


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?