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3.11

※当時の私の心境や状況を残そうと思い書きます。
苦手な方は見るのをお控えください。


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13年前の3月11日14:46
東日本大震災が起きました。

当時、私は保育園に勤めていて、子ども達はお昼寝中😴
少しぐずっていた子をトントンしていたら、聞いたことのない地鳴り。

地震が起き、しばらくして電車が止まったというニュースを知り、お迎えが何時になるかわからないという先生達との話の最中に園長先生が
「先生!テレビ観て!!」
と言われテレビを見ると、東北の沿岸を襲う津波の様子が写っていました。

どこの何の映像なのか…
思考が停止してしまい、ただただボーッとテレビを見つめていました。
「ご家族と連絡取れる⁉︎」
ハッと我に返って連絡をするけど、誰からも返信なし。
実家は山の方なので、大丈夫だと思いつつ震えが止まらなかったのを覚えています。

近くに住んでいた弟とは連絡が取れましたが、実家の家族と連絡が取れたのは3日ほど経ってからでした。

その日は電車も動かず、いつ家に帰れるかわからない状況でしたが、園長先生が
「気が気じゃないだろうから、車出せる先生に送ってもらって」
とおっしゃってくださり、私は家に帰りました。


家族と連絡が取れて知った地元の状況。
沿岸部は津波にさらわれ、何もない状態に。
知り合いの家や友達の家、そして知り合い何人か津波に流されたとも聞きました。

当時、家にいた母は山の向こうから
「ダーン!…ダーン!!」
という音が聞こえたと。
後々知ったのは、町を津波が襲う音だったそうです。

関東は数日したらほとんど元の生活に。
戻ったからこそ余計にテレビで伝わる東北の状況。
テレビでは伝えられない被災以外の事件もあったそうです。

小さい頃から見慣れた景色が一気に変わり、当時流れた映像の中に地元もあったりしました。
綺麗な海だったのに、地震の時は黒い大きな波に変わり、防波堤を越えて町を襲う。
衝撃的すぎて、数年その映像が見れませんでした。

数年経ち、復興が少しずつ進んだ頃に地元に帰り、改めて被災地を通ると、本当に何も無くなっていました。
「もうここには家を建てられない」
ずっと見ていたお店や景色が戻らない。
何とも言えない気持ちになったのを覚えています。

今年で13年目。
当時生まれていた子どもは中学生。
そんなに経つんだなと感じます😌

今回、改めて書こうと思ったのは、3月11日に追悼のヒーリングをしてくださる方がいらっしゃったので参加させて頂いた時に、あらためて私は自分でも気づかないくらい傷が深かったのだなと感じたからです。
そして、ヒーリングに少し参加させて頂いた時に、いろんな感情と繋がり大号泣。


「もっと生きたかった」



改めて、今生きていられる私たちは本当に奇跡だと思います。

生きたくても生きられなかった
人、植物、動物…


今、辛い苦しい人もいるかと思います。
必ず乗り越えていけます!

「生きてるだけで丸儲け」


人は自分の終わりに向かって生きていると言われています😌
なら、どんな人生で終わりたいですか?



今回の出来事があり、改めて微力でも何か地元に貢献したいという思いが出てきました☺️
どんな形になるかわかりませんが、出来る事をしていきます。



長文を読んで頂き、ありがとうございます🙇‍♀️

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