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とける境界、きわだつ輪郭

意識が大きくつながるとき、それはまるで空間がクリームのように溶けているような感覚。境界線が溶けてしまっているようなふんわり半透明なやわらかい空間に鳴りあがる。そこは、すべてが一つの場所。
意識がつらなりあい、響き合っている場所。
シンクロのはじまりの場所。

それはいつもそこにある。ここはいつも、「そう」ある。

ひとりひとりがそもそも主役、創造主なのだ、ということをいろいろな角度から繰り返し綴り、話ち、表現してきた。
ひと、という形を成してこの世にこの瞬間に産まれ出でられた時点で、たくさんの精子と卵子の組み合わせの中で、あなたが生まれた、おどろくほどの確立の奇跡。
存在、じたいがすでに奇跡で、ひとり、ひとり、ひとり、其々として生まれたことの意味。

けれども同時に、同じであるということ。細胞と細胞の出会いであった息吹が手を、足を、脳を、爪を、、、、五臓ろっぶを刻んだのはひとの、細胞のもつ、記憶。

何度も、意識がひとつところから、ひとと、個となり生まれ出流れを体験して視てきた。なぜ、ひとつなのか、違いはどこなのか、つながりのmiracleをふかく理解しふかく受容する意図を、宇宙にまっすぐはなったから。

ことばにして書くと、あたりまえ、のような、それでいていのちの奇跡、感動の源である、この部分。
わたしが、本格瞑想で特別な領域に入り、そして、奇異な体験をなすにいたったのは、このことが由縁なのだと思う。そして、いろんな角度から表現し続け、見出していただいたのも、この体験のおかげさまだ。

個が、溶ける瞬間、潜在意識がふるえる。
そして、その微細な振動が、量子の重なりが、存在であり、個を生み、同時にひとつモノとしてつながっていることを、響き合わせ、感じ、感覚する体験なのだ。
この体験を、具体的に再現性ある形に表現していこうと思う。

本、というカタチに物としてなるに向かえるように、一歩一歩共につくりあげながら、出来上がるプロセスを体験しあっている。
きょうは、その宣言。
存在も、現すこともあまりにも消極的だったこれまでから、一歩前へ。

現す、現れるいっぽをここに。

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