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三人三様

末っ子が、相変わらずセンシティブで、ファッションや髪型に異様にこだわる。

毎日毎日、ミリ単位で前髪にハサミをいれ、眉毛を剃り落とす。


学校から帰ったら、メイクをしては落とし、メイクをしては落とし。

姉兄とは会話もほとんどしない。


youtubeのメイク動画にかじりついて、自分が写る鏡と交互にずっと見ている。

夜中まで見ている。


そんなんだから、もちろんモリモリご飯を食べたりもしないし、ガリガリに痩せて、青白い。


勉強もできないし、する気配もない。


学校には行ってる。

おともだちも、たぶんいる。

楽しそうに、小生意気に、学校やおともだちや先生の話をしてくれる。


そして、毎朝、泣いてる。


末っ子の生きづらさがどこから来て、どんなもんなんだか、私には想像もつかない。


だから、寄り添う、とかもおこがましい。

理解できないことを、「わたしは親だから理解できるはず」って考えるのは、おもい上がりだなと思う。


長女の受験どうしようとか、長男が勉強ができないどうしようとか、そういうありきたりな子どもらしい悩みを軽んじてしまいそうになる自分を、ぐっと戒める。


我が家の三人の子ども達は、小さい頃からわりと好きなものがハッキリしていて、そういう面では、それだけやらせてりゃ良かったから、すごく育てやすい子達だったと思う。

好きなものがあっていいね、って言われるのも、すごく誇らしかったし。


でも、子どもが好きなものがあることを、自分が誇らしく感じてたことが、そもそも、わたしの愛情が歪だったことの証だったと思うのよね。


そういう自分に、強烈な違和感を覚えはじめた、この数ヶ月。

子どもは子ども。わたしはわたし。


「期待」ということを一切手放してしまってから、長女と長男は明らかにみるみる、朗らかに楽しそうにリラックスしはじめたけど。


末っ子の前髪はどんどんみじかく、眉毛はなくなって、カラダは痩せ細ってしまった。

こんなにこんなに愛してるのになぁ。

きちんと愛を渡せていなければ、それはないのといっしょだ、子どもにしてみれば。


18歳と13歳と11歳に渡す愛情は、それぞれ形を変えて、アレンジを変えて、ときにはデコレーションとかもして、工夫を凝らさんとダメなのか笑


はー、親業って、なんて難しい。

でも、なんて、やりがいに満ちた仕事なんだろうか。

終わらない、続いていく、営みと学びなんだろうか。


泣いてる末っ子の、艶々の、天使のような髪の毛を撫でながら考える。

色々大変だと思うけどさ。

あなた達は、きっとぜったい大丈夫だよ。

だって、わたしの子どもだから。

ダイジョブ、ダイジョブ。


安心して、世の中をなめたり生きづらさを味わったり人生を楽しんだりしてください。


ケツは母ちゃんが持つ!!!!笑
(言葉選べ笑)


はー。さー。仕事がんばろう。

子育てもまたがんばろう。

人生て、ほんと、楽しいよね。

楽しくって、楽しくって、やんなっちゃう笑

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