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思考の旅する文庫

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つれづれなるままに、文庫本を読んで思いついたあれこれ。 書物との接し方も人生の後半戦になると、知識を得るためではなく、己の人生に悔いを残さないために、と変化するのです。
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#読書感想文

『花森安治の編集室「暮しの手帖」ですごした日々_書を持って、家にいよう』

●文章にもある適材適所 雑誌にかかわらず、メディアに執筆する際にはそのメディアにあった文章というのが必要となります、当然ながら。 先日、尊敬する二十代の頃からお仕事をご一緒させていただいている方と、自動車評論に関してある話題があがりました。 それは、自動車のインプレで、「私にはとうてい買えるような値段ではないが」という内容から始まり、「仮に購入できる余裕があっても買わない」という感じで終わる文章です。 この手の文章って、インプレ原稿の中でまったく意味がないよねー、とい

『庭仕事の愉しみ_自然に老いてみよう』

ひさしぶりにカサブランカを買ってみました。咲いているのは2輪。先端の3つは、まだ蕾の状態です。 花瓶に入れてから2日後、上から3番目の蕾に亀裂が入り、まだ固い黄色い雄しべの姿がちらりとのぞくようになりました。その3番目の花が大きく開いた状態になると、一番下にある買ったときに満開状態だった花の真っ白な花弁に、花脈がほんのりと現れてきました。その花脈が明瞭になってくると、花弁自体も薄く茶色に染まってきて、3番目の花に勢いを吸い取られるようにして徐々に萎れていくのです。こうして2

『アイデアの接着剤_所詮、大衆ですから』

コロナ禍の影響で、テレワークが当たり前になってしまった今日この頃。だいぶ現在の生活にも慣れてそろそろ飽きてきたところですが、2020年当時はどのように自分を取り巻く環境を考えていたのか振り返ってみたくなりました。以下が2020年11月当時に書き記した当時の心境です。 ●リアルではない仮想現実的な現実の生活 ほんの数年前までは、家にいる方が珍しくて、国内外を問わず常にどこかに出掛けていて、それはそれで落ち着かなくて、いつか腰を下ろしてしっかりと思想の深淵に静かに沈潜していき

『イメージを読む_美意識が求められる現在』

●ゴクツブシでごめんなさい 幼い頃、すでに文学部なんて潰しの利かない学部で、そんな所に進学するのは穀潰しである的な空気はありました。法学部、経済学部、商学部……なんてものが、生きていく(お金を稼ぐ)上で有利であると。 さらに、文学部のなかでもヒエラルキーがあって(少なくとも早稲田にはあった)、小説家目指してます! 的な「文芸専修」、映画目指してます! 的な「演劇専修」というのが人気で、あと、「社会専修」というのも狭いヒエラルキーのなかでは上位に位置していました(潰しが利き

『持たない幸福論_自分の言葉とは』

読書すればするほど、文章を書きたくなるか否か 本を読めば読むほど、自分が思いついたこと、考えたこと、その他もろもろ、既に誰かが書いていたということがわかり、若い頃はモノを書く意味を見出せなくなっていたものです(先達の本を読めば済むことだから)。 その意味では、30代から40代半ばまで、とにかく雑誌を作る(企画立案する、ディレクションする、書く、撮る、ラフをひく、デザインする、営業する…その他)ことに追われて、仕事に直結しない趣味の読書量が激減したのは、実は幸いだったのかも

『美人論_ありのままでが一番コワイ』

連れだって歩くに最適な女性って2020年、アメリカ合州国の大統領がようやく交代しました。 在任中の4年間、日本人でもいろいろなことを感じたはずです。政治的イデオロギーなどについては、ここでは言及しないことにしているので、トランプ氏の政治手腕や思想についてとやかく言うつもりはありません。 ただ、テレビで観た、トランプ氏が大統領退任後に別荘に向かう飛行機に乗り込むシーンと、別荘のあるフロリダのどこかの空港に着陸した後、飛行機から降りるときの映像で感じた印象は、4年間変わらなか

『ヴォーグで見たヴォーグ_世界の崩壊は近い?』

COVID-19で大きく変わる価値観2020年の4月ごろ、新型コロナウイルスの影響を受けて、ジョルジオ・アルマーニが、「ファッション業界の現状をリセットしてスローダウンする貴重な機会である」というような趣旨のコメントを出している。 流行を追いかける、という表現があるが、いまや消費者は流行になるのかどうか分からないものを、危機感に煽られて先行投資している状況だ。 たとえば、秋冬モノは、初夏には小売店に並ぶ。暑い暑い真夏の7月8月、そして残暑の9月を過ぎても、心地よく着ること

『スカートの下の劇場 & セクシィ・ギャルの大研究_結論。パンツ見えたっていいじゃん!』

女性は、男性のためと自分のためにパンティを選ぶ以前、『パンツが見える。』についての随想で、「だれか女性の学者さんで、『パンツを見せない』というタイトルで女性からの視点でパンチラについて書いて下さい」と書いていたが、そのときすでに対となる文庫が頭にありました。それが『スカートの下の劇場 ひとはどうしてパンティにこだわるのか』である。 著者は数年前に東京大学の入学式での祝辞が話題になったのお方である。女性である。そして学者である。女性学者は、パンティについてどのような見解を持っ

『パンツが見える。_駅の上り階段は要注意』

チラリズムって、不謹慎ですか?駅ホームの階段もしくはエスカレーターを上る際、こんな経験をしたことはありませんか? 目の前を歩く人もしくは立っている人が女性で、しかもその女性は短めのスカートを履いています。 目のやり場に困るなぁ、と思っていたら、手にしているバッグを女性がスッと後ろに回すのです。 あたかもパンチラを防御するかのように。 この時、「目のやり場に困っていたので助かった」と思うか、 「覗き魔もしくは痴漢と思われるなんて心外だ」と思うかはその人次第でしょう。 (もし

『乳房の神話学_乳見せはめくらましです』

日本男児、おっぱい星人がデフォルトです学生のころから、周りの友人たちに「おっぱい星人」が多いように感じていましたが、実はこの現象がいわゆるデフォルトであることがわかりました。そりゃあ、私の周りにおっぱい星人が多いはずです。 へぇぇー、巨乳好きなんだねー、と感心するばかりで、おっぱいネタにはほぼ関心がありませんでしたが、この世のオトコはほぼおっぱい好きなのです、たぶん。 そういえば、大学生の頃に、宮沢りえやマドンナの写真集が社会現象になりましたが、どうしてビーチクが見える見