岩見さんの団地

事務所の先輩の南川さんという妖怪と変な配信をしている。

我々が所属している松竹芸能という事務所は、属している人間の離脱率がちょっぴりお高めということで、もう二度と辞める人間を出さないでおくために、私たちが事務所の在り方や今後について節介を焼き前向きに真剣に考え、より良い事務所にしていこうと奮闘するという、ハートフル教養アドベンチャーチャンネルだ。「初めてのおつかい」みたいなものである。

私としてはなるべくこっそり、あまり誰にも何も思われずにやれれば良い、こっそり面白いことをやりたいと思って始めたのだが、思いがけず各方面から反応があったり、他事務所のお会いした事もないような大先輩が気に入って見て下さっていると聞いたりして白目をむいたりもしている。

震えながら改めて南川さんに「わし、これ、こっそりやりたいんですけど…」と言ったのだが、南川さんは「そうやなあ〜」と言うだけで全く意に介さず、むしろさまざまなそういった反応を楽しみ、ごきげんそうなのである。言うてるまに勝手にグッズとか作り出しそうな雰囲気すらある。私は警戒している。

とはいえこの妖怪は私の意図を汲み取ってくれる部分もあり、アーカイブは完全消去という方法を取ってくれている。そもそも自分は芸人としては致命的なほど引込思案な側面があり、面白い事はしたいし芸人という仕事も好きなのだけど、あまり見られり注目されたりはしたくないという変な奴なのである。アーカイブを残したくないのも、内容云々という意味もあるが、日陰でやりたいという気持ちからだった。

ところが今回は、その配信のアーカイブの話である。こっそりやりたいとか、お恥ずかしい、とかの気持ちはあれど、それを上回る「岩見さんを見てほしい」という気持ちになっているからなのだ。

岩見さん、というのは事務所の女性芸人の先輩で、ただでさえ性別不詳なルックスなのに、自分のことを「岩見」と呼ぶので輪をかけて性別不詳になってしまうでおなじみのチキチキジョニーの岩見さんである。岩見さんがエピソードトークをする際には「こないだ岩見な〜」から始まったりするので、この「こないだ岩見な〜」は完全に聞く者たちの聞く体勢を邪魔し、いつも序盤で誰かに、一人称が苗字なんですか?と、一旦質問されてはトークのペースを崩している方だ。芸能界三大一人称苗字タレントは、矢沢・矢口・岩見としても過言ではない。

そんな彼女をゲストにお迎えした回は、1週間アーカイブを残している。なぜ残っているのかは見てもらえば分かるが、今回はその配信の振り返りをしようと思う。


そもそも岩見さんをゲストに呼んだのは、ステイホームの最中に松竹が、普段劇場にお越し下さっているお客さんたちにもおうちで楽しんで頂きたいという思いから「おうち角座」というワンミニッツ動画大会を回したことがキッカケである。

優勝者には賞金10万円という事もありほとんどの所属芸人が参加し、ツイッター上でハッシュタグおうち角座と添えて各々が動画をアップしたのだが、優勝はあっけなく決まってしまった。そのあっけなさに妖怪が配信の中で異議申し立てをし(私たちは参加していないにも関わらず)ちょっとみんなの動画見ていこう、ということになり色々な参加者たちの動画を見ていたのだ。
そんな中、ひときわ輝いていたのが岩見さんだった。まずはその動画を見て頂きたい。

まず、芸能の仕事をしている人が表に出す動画とは思えないほどに切れかけている蛍光灯に衝撃を受ける。
そして久しぶりに見たカバーのかかったタイプの家ピアノ。「団地階段チャレンジ」という初耳も初耳な言葉を「アイスバケツチャレンジ」くらいの知名度かのように当然のようにおっしゃっていること。なぜ「40秒」なのか、30秒とかで良いのではないか、更に40秒だと簡単すぎるのではないかという疑惑の設定。
階段を駆け下りているだけなのに警察24時くらいの緊張感ある画。なぜかドアが開きっぱなしだというの二階の部屋。見当たらない下の歯。そもそも「おうち角座」というステイホームを推奨するための企画なのに、家から出てしまっていること。

その多くの違和感は私たちを殺した。
岩見さんの団地階段チャレンジは、惜しくも本家おうち角座では優勝を逃したけれど、私たちなりの優勝者ということに勝手にさせて頂き祝福し、そしてゲストにお招きして色々とお話を伺った回がこの配信である。

まず、疑惑の「40秒」という設定について問いた。

南川「40秒って簡単すぎませんか?」
岩見「ちゃうねんちゃうねん。あれな。気付いた?色々言われたけどさ、あれ、靴履いてない状況から始めてんねんで?」

岩見さんが靴を履いていない状況から始めていたことを、こちらが気づく余地など無い。しかし岩見さんの台詞は「気付いた?」という出だしから始まる。「気付いた?靴履いてない状態から始めてんねんで?」と、こちらがもう少し頑張れば気付けたはずかのような物言いをしていた。

南川「靴、履いてなかったんですか」
岩見「靴、履いてない」
ヒコロヒー「気付かない、気付かなかったです」
岩見「なんでやねん。家の中やんけ」

気付く余地のないことに対して「気付かなかった」と言うと「なんでやねん」と、さもこちらがボケたのかと思うほどに正統派漫才師としてのツッコミを炸裂する。そんなに強めに言われる筋合いはない気がするのだが、完全に強めに言われた。もうこの時点で私は岩見さんの虜になったのである。


南川「でもそれだったら靴履いて無いとことか見せてくれないと」
岩見「いやちゃうねん。一発でいきたかってん。一発勝負じゃないとチャレンジじゃないから」

これもまた知らないルールである。一発勝負じゃないとチャレンジじゃない。想像よりストイックなチャレンジであった。ピアノの部屋から既に一発勝負は始まっていたのだ。団地階段チャレンジの概念を知れた瞬間である。

さらに話は続く。

南川「なぜあんな切れかけた蛍光灯の部屋でやるんですか?」
岩見「いやあそこって普段ピアノを置いてる部屋やんか?」

知らないのである。
私たちも、もちろん見ている方にとっても、あそこが、普段ピアノを置いてる部屋なんてこと知るよしもないのだ。しかし「あそこって普段ピアノを置いてる部屋やんか?」と「ほっともっと弁当って美味いやんか?」くらいの感じで逆質問を浴びせられるはめになるとは、予想だにしていなかった。

それから話は岩見さんの階段を駆け下りる所要時間へと移った。

岩見「でもな、あれ気付いた?」
南川「すいません、気付いてないとこいっぱいありました」
岩見「ええで、いっこいっこ返せるから、全部返せるから大丈夫やで」

岩見さんの備えは完璧らしかった。誰も責めたり追求したりしているわけではないのだが「全部返せる」と、裁判で争うくらいに備えてきていたのだ。
しかもその「大丈夫やで」もこちらを励ますようなニュアンスが若干含まれていた。「大丈夫やで、全部返せるから」頼りがいのある岩見である。

岩見「気付いた?あれな、40秒が甘いっていうけど、結局、階段降りてるのにかかってるの19秒やねん」

岩見さんはまた気付く余地のないことを言い出し、更に、なぜ分かりやすく20秒という事にさえせず、厳密に「19秒」と言い張っていたのかも不思議だった。しかしそこは団地階段チャレンジをする者としてのプライドだろう。凡人には理解できない領域があるのだ。
そんな岩見さんに対し、私が「すみません(19秒だったことを)気付きませんでした」と言ったのだが、その、次の瞬間のことである。

岩見さんは、zoom上で私の方を見て何かを突っ込んでいた。

zoomであんまり見たことのないやり方である。こういうやり方は、初めて見た。
これには配信中気付かず、アーカイブを見直して衝撃が走った。zoom配信は、みんながそれぞれ正面を見ながら喋っている印象だったのだが、岩見さんは、私がzoom上で左上にいると把握した上で、左上に向かって何かを突っ込んだのだ。しかも何度見直しても、何と言っているのかが分からない。でも確実に私に向かって何かを言っている。

「岩見、団地に住んでるからWi-Fiが弱いから心配やねんか」と言っていた岩見さん。最初、上手くzoomに入れなくて声だけで入ってきたりしていた岩見さん。その後入り直したらなぜか真っ黒の画面の岩見さんもいて、序盤はなぜか南川さん、私、岩見さん、真っ黒の画面の岩見さんの4人でお届けすることになっていた岩見さん。アナログな方だと思っていたのだが、こんなやり方を知っていたとは、どこまでも想像を遥か超える岩見さんである。
そう思うと南川さんもzoom上で岩見さんの方を見て喋っている気がする。私が知らないだけで、zoom配信ってこういうものなのだろうか。

また「団地階段チャレンジ」の不思議さについて私が問いた時である。

ヒコロヒー「団地階段チャレンジって、繋ぐ人を結構(限定しませんか)」
岩見「いや、それは一戸建ての階段でも良いわけやから」
ヒコロヒー「あっそうなんですか?」
岩見「だってそれは各々のおうちのチャレンジ。だって秒数を区切れば良いやん」
ヒコロヒー「ああ‥」

配信の中で私は納得したみたいな顔をしてしまっているのだが、ちょっと全然分からない。団地階段チャレンジ、と高らかに謳っているのに、一戸建ての階段でも良い、というのはちょっとあまりにも急な発言すぎるのではないだろうか。
また「だって秒数を区切れば良いやん」というのはどういう意味なのだろうか。もしかして私が見落としていただけで「40秒」とか「19秒」とか妙な秒数を出してきていたのには理由があったのだろうか。「秒数を区切れば良いだけやん」という訳の分からないことを言われたのに「ああ‥」と引き下がっている自分も悔しい。岩見さんの「だって秒数を区切れば良いやん」の真意が知りたい。
こうなると「だってそれは各々のおうちチャレンジ」という発言の意図も改めて知りたい。「だってそれは各々のおうちチャレンジ」とは一体なんなのだろうか。しかし、岩見さんに皆まで言わせてしまうのも野暮なのかもしれない。自分の察する能力の低さが悔しい。


振り返ろうと思ったがちょっと振り返りきれない。
ここからも更に、配信のなかで岩見さんの素晴らしさは続いていく。ここまで読んで、どれほどの人が興味を持ってくれたか本当に定かではないが、1マイクロでも気になった方はぜひアーカイブを見て岩見さんに触れてみてほしい。
ちなみに私はこの配信では笑いすぎて涙がぼろぼろ出てしまい、本当にひたすら笑っているだけで大したことは何も言えておらずお恥ずかしい回となっていて個人的にはあまり見られたくはないのだが、岩見さんを見てほしいという気持ちには勝てない。

特筆すべきは配信の中で最後、岩見さんがおっしゃった一言だ。

私たちが散々、団地階段チャレンジをしがみ、存分に遊ばせて頂いて配信も終わりの頃である。私が「はあ面白かった」と言った直後、岩見さんはこう言った。

「…ありがとうなあ、命、吹き込んでくれて」

信じられなかった。岩見さんは、感謝していた。
もちろん私たちは絶対に命など吹き込んでいない。
こんなのは勝手に随分と芸歴の離れた後輩二人に散々しがまれ触られた直後に出る言葉ではない。彼女はとても純真な先輩だった。私は自分がひどく汚れた浅ましい芸人に思えて恥ずかしくなった。「ありがとうなあ、命、吹き込んでくれて」。なんなんやそれは。吹き込んでいるわけがない。そもそも「団地階段チャレンジに命を吹き込む」とは一体どういう意味なのだ。
このキャラクターに声優が命を吹き込む、とか、古くなった椅子を修理して命を吹き込む、とか、は聞いた事があれど「団地階段チャレンジに命を吹き込む」なんて、そんな日本語あって良い訳がないのだ。
そんな岩見さんの純真さを笑っている私たちは、本当に悪魔のようにも見える。お恥ずかしい話である。

同時に、南川さんがなんか知らんけど9万2千円出す大会も始まった。私も8千円出す。私は自粛期間中のお笑いをこの変な配信しかしていないため、自粛明けに芸風変わってしまいそうだと懸念している。
私の芸風の良い所は「嫌な事を言う時はギリギリのところで止められて、かつ配慮もして笑える範囲に落とし込むバランス感覚」が少なからずあったはずだが、この配信ではもう「どうでもええんじゃ」と言わんばかりに結構ブレーキがバグってしまっている瞬間がある。実際、どうでもええんじゃとも思っている節はある。全ては自粛のせいだ。頭がおかしくなっている。
早く普通の健全なお笑いがしたいとも思ったりもするが、このアーカイブが残っているうちはぜひ一人でも多くの方に、チキチキジョニー岩見さんの純真さを知って頂きたいところである。来週の火曜日にはこのアーカイブも消えます。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?