ときめきと衝動買い
先日、東京の谷根千エリアの陶器屋さん(いろんな作家さんの陶器をセレクトショップ的に扱うお店)の陶器市というイベントに行ってきた。
古民家をリノベーションしたと思しき雰囲気のあるお店(とにかくおしゃれ)はそれほど広くなく、1階、2階に合わせてせいぜい20畳もないくらいのスペース(たぶん)に、50名以上の作家さんの作品が並んでいた。
お茶碗が欠けていたから新しいものがほしいなとワクワクしながら見て回る。
一つ一つ手作業で作られている作品は、工業製品とは違って(もちろん工業製品は工業製品のよさがある)、手に取るたびに、作り手さんの思いや表情を連想させた。
木造の、歩くたびにギシギシという階段をのぼり、2階にたどり着いたとき、出会ってしまったのだ。
地球のように美しい、深い青の花器である。
元々我が家には生花を飾る習慣はない。しかも今日は茶碗を探しにきたのであって、花器は1ミリたりとも欲しいと思っていなかった。そもそも花器って花瓶のことだよね、とあとからGoogle検索するレベル。
ただ、その花器を見つけた瞬間、吸い寄せられるように瞬足で近づき、他の人にとられまいとあわてて両手に抱えた。
私がそれなりに依拠しているミニマリスト的な考えや、節約主義的な観点では衝動買いは悪とされる。一晩頭を冷やしてからどうしても欲しかったら買うといった方法が推奨されている。しかし、今回のイベントは予約制。しかも作家さんの一点もの。今日を逃したら買えないのだ。
一瞬の逡巡ののち、両手にかかえた花器は、理屈ではなく感覚で、我が家に連れて帰る(いや、連れ帰なければならないだろう)ということに決めた。
ミニマリスト思考、節約思考は大事。だけれど、言葉には表せられないときめきはもっと大事だと思った。
20代も後半にさしかかり、すでに結婚して安定した生活を送っている今、ティーンエイジャーのころたくさん経験してきた心がキューーーンとなるときめきは、日々の生活では皆無に等しい。
最近、価値観や自分の軸がブレブレで悩んでいたが、今日の出来事でひとつはっきりしたことがある。せっかく訪れたときめきチャンスは、大事にした方が良いということだ。
衝動買いというととかく悪いものに聞こえがちであるが、衝動買いにも質があるのではないか。
とりあえず買うか、という衝動買いは後悔する可能性が高いが、理屈抜きでなぜか引き寄せられたもの、ときめきを感じたものは、自分が気づかないうちに心の底で求めていたものなのではないだろうか。
ときめきという感性、ときめいたもの、これからも大事にしたいと思う。
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