非永遠の命っていう方向性

2回目の投稿なのによく分からないことを書いていこうと思う

よく永遠の命が欲しいと思い、それを追い求める人が存在する
私もその一人?なのかも知れない

でも、私がしたいのは観測だけであり、飽きたら死んでいいと思っている

しかし、大枠での永遠の命が欲しい人達は、己の一生を伸ばすことで出来ないことを成そうとする思想なんだと思う
または、永遠の命を有効活用できると思う根拠のない自信か、ただ死んだ先についての恐怖心か

私が思うに、永遠の命を手に入れた先では、永遠の怠惰が待っているだけだと思う
全ての物事を先送りにして何もしない、というか今日する必要のあることがほぼほぼない
例えば、数年に一度通過する彗星を観測するとした場合、次が1000年後になろうと1億年後になろうと「今やる必要はない」のである

命の限界というのは、生命活動の糧にするにはとても効率がいいと私は思う
今やらないと次はないのだから、とても分かりやすく、今を大事にする思想が生まれるのである

また、人間の子孫繁栄で記憶が受け継がれないのも面白い概念だと思う
遺伝情報として己の肉体情報を継承し、文章や画像で記憶情報を継承する
これにより、生まれてきた子供は「何も知らない」のである
これは知的探求心を活性化させるのにとても都合がいい

そう考えた時にやはり人間に寿命があるのは「その形が都合がいいから」ではないのかと私は思う
つまり、非永遠の命っていう方向性で進化する考え方なんじゃないかと思う

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