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"記憶にございません"な新生児期

タイトルにある通り、新生児期は怒涛すぎてほとんど覚えていない。かろうじてつけていたぴよログを見るとまとめて寝ている時もあって落ち着いているように感じられるが、全くそうではなかった(多分)。

転院後につけはじめた記録。

我が子はどうやら敏感すぎる背中スイッチをお持ちだったようで、とにかく置けない。ベビーベッドではなくベッドインベッドを購入していたが、5回ほど着地失敗が続いたら添い寝に切り替えていた(安全面を考えるとベビーベッドのほうが良いです)。むしろ添い寝でも置けたらよいほうで、侍の如く抱っこした状態のまま朝を迎えることもあった。

母子同室明けのボロボロの精神と円座クッションがないと座れないボロボロの体。里帰りをしているとはいえ、実両親は仕事があり夫は育児休暇がとれず(なぜか3ヶ月後に4日間取得していた)という状態のため日中はワンオペ。そして明け方の侍。暗い部屋で泣き喚く我が子を抱きしめて虚な目をしていたこともあったそうで、実母いはくこの時の私は限界を迎えていたという。

しかし私は周りに恵まれていたと思う。実両親は仕事をしていながらも夜勤(赤ちゃんの夜中のお世話)の手伝いをしてくれるし、おいしいご飯を作ってくれる。忙しいなか平日に休みをとってくれることもあったし、室内環境もしっかりと整えてくれた。正直、こんなに手厚いサポートがあっても「悪阻より出産より新生児期が辛い」とSNSに書き込んでいるくらいだから、よっぽど大変に感じていたのだと思う。両親がいなければどうかなっていた。改めて感謝している。

ついでにいうと夫にも感謝している。LINEでネガティブな発言や八つ当たりのような発言を送りまくっていたけれど、毎週末欠かさず会いに来てくれた。もちろん「休み取れよ」「土曜朝じゃなくて金曜夜から来いよ」「里帰りしてるからって飲み会行ってんじゃねえ」とか思うところはいろいろあったが、彼なりに一生懸命支えようとがんばってくれたのは分かっている。ホルモン妖怪と化した私の扱いはさぞかし大変だっただろう。ありがとう。

おそらく産後鬱になりかけていた新生児期。明けない夜は無いの如く明けない新生児期は無かったけど、とてつもなく長い1ヶ月だった。もし同じように辛い想いをしている人がいるなら、リフレッシュ方法として大人と会話する時間を持つことをおすすめする。目を離せば息絶えてしまいそうな赤子の世話に一生懸命になっているとどうしても視野が狭くなる。何を投げかけても泣き声でしか返ってこなくてどうすればいいのかと不安になる。そんな時に大人と会話すると肩の荷がおりる感覚を得られる。中身のない話でいいので"会話"をしてほしい。「大人と話したい」と私は毎日嘆いていたと思う。

産前に管理者として新卒や20代前半の部下を指導する際に頭を抱えることが稀にあったのだが、いまは「言葉を理解できる大人を育てるのってめっちゃイージーじゃん」という気持ち。復帰後はどんな若手がきても広い心で対応できそうだ。なんせ会話ができるから。こういう気づきがあるのも育児ならでは(なのか?)。とにかく我が子のおかげで私自身も成長できている。いやむしろ心を育ててもらってます。新生児期を一緒に耐え抜いてくれた我が子に感謝。

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