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幸せを感じていい

これは天国ですか。。。

なんて幸せなんだろう
この自粛生活が始まったころから、
そう思う瞬間が格段に増えた。

とても不謹慎だと思う自分も強くいてあからさまにはあまり表現できないけれど、
涙が出るほど穏やかに心に沁みいる瞬間がある。

それは日常の何気ない一つ一つ。

毎朝散歩に行く公園のラジオ体操人口が日に日に増えていて、参加者の年齢層も層もぐっと下に広がり、
今本当に朝6時?と思うほどパーティーな賑わいの風景。(間隔はだいぶ開けられているようです)

その前後の時間には、子供たちがパパとサッカーやキャッチボールをしていたり、

こんなにと思うほど高く自由に伸びる木々や
どうやったらこんな色形で生まれられるんだろうと目を見張る造形の花々。

筍を買ったらこれも食べてと小さい筍をサービスしてくれる八百屋のおばちゃん。

ここに全てある
他に何もいらないな

そう思わせてくれる今ここにある全てに感謝するとともに、
そう思うことができている自分が嬉しいし、
そう思える状態の自分であることがとても心強い。

という感覚を持つほどに、
そんなんは幸せじゃない、
あれもないしこれもないじゃないか、
どこが幸せやねん、
とどこかから声が聞こえる。

幸せと感じる時、
そんなんじゃない、
あれはどうした?
何も成してないくせに?
と誰かが言ってくる。

あー、知ってるー。

こうやっていつも幸せを手放してきたんだな。

私は幸せじゃないんだった。
まだ幸せになれないんだった。
私だけ幸せになったらダメなんだった。

っていうのをかんなり長い間繰り返してきた。

なんのために?
誰のために?

とても大事な人にそう言われてきた。
とても大事な人がそう思っていた。
その人をおいて幸せになることは
その人を見捨てることになる、
その人を否定することになる、と。

そしてある日気付く。

自分が幸せであろうがなかろうが
その人はいつでも幸せになれること。

そして自分もずっと幸せであったこと。
幸せと感じないと決めてきただけだったこと。

自分が幸せであることで誰も傷つけないし、
誰も不幸にはならない。

自分の幸せで満ちた分を人と分かち合えた時、
人の幸せを素直に分かち合えた時、
自分の幸せが周りの幸せであること、
自分が幸せになることで周りが幸せになることを知る。

同時に、
私たちの多くは自分だけでは幸せになれない。

周りが幸せでなければ本当の幸せは感じられない。

体の中の細胞同士のように、私たちは生かされあっているから。
お互いに作用し合っているから。

ただ人間は何を作用できるかを自分で選択し決めることができる。
何が幸せか、どんな一日や社会や世界を創るかは私たち一人一人が決めることができる。

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