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どうやらファッションは自由ではないらしい。

ファッションは自由なのか。

よく人々がファッションをする時に「ファッションは自由だ」という人がいる、だが本当にファッションは自由なのだろうか、固定概念と化したファッションの自由、一度考え直してみよう。



まず皆さん、自由とは何でしょう、多分ほとんどの人が「何事にも縛られないフリーな姿」を想像すると思います。それは本当に自由なのでしょうか、
よく考えてみてください。

例えば服を買う時、デザインを見て気に入り、買うために金額を見た時、思ったよりも高く、買える金額ではなく、仕方なく似た物を探し、安く済ませた、
これは自由だったのだろうか? お金という物に縛られた結果安い物を買うという選択をせざる終えなかったのではないでしょうか、

そして知識という面でも自由ではなくなっています。もしお金があってそれを買ったとしてもそれよりもいい物が同じ値段で存在した可能性はあるでしょう、それを選択できないというのは自由であったのでしょうか。

カルチャーの話をすると必ずどこかでカルチャーに縛られたくないから知らないという方を見ますが知ることによって本当に縛られるのでしょうか?

少し難しい話になるのですが自分たちの意識でさえ元より自由ではいと現代科学では言われています。

物理学では「意志は脳の働き」であり、かつ、「脳が物理法則に従う」ならば自由意志はないと考えられている、

生物学では氏と育ちという議題に対して、生物は遺伝的に決められていることが一部あり、その上に後天的に物事を覚えていくとのこと。

      では本当の自由とは何か

ではそうなってくると自由って何?となると思います、まず自由とは何か

自由(じゆう、希: ἐλευθερία、羅: libertas、英: liberty, freedom)とは、他からの強制・拘束・支配などを受けないで、自らの意思や本性に従っている[1]ことをいう。哲学用語。 

哲学において自由とは「自律すること」とのこと

自立ではなく自律する事だそう。
理性に負けてしまうような事をする人は自由とは言えない」と言った、これなら仮に物理学、生物学が正しいとしても自由という物を意識する以上、一番理に叶っている
そしてこれはお洒落の一つの定義にもある「自分のスタイルを持っている」という一面にも当てはまるわけです。

そしてファッションはというと

ファッション(英: fashion、英語発音: [ˈfæʃən] ファシャン。仏: mode、フランス語発音: [mɔd] モッド)とは、ある時点において広く行われているスタイルや風習のことである。特に、人々の間で流行している服装を指すが、装いに関係する装身具、美容(理容、髪型、化粧)、香水などもファッションの範疇である。さらに広義には音楽などの文化やライフスタイルまでをも包括しうる。「ファッショナブル」や「おしゃれ」といった表現は、ある人や物が最新の、もしくは最新ではなくとも評判の良い様式に沿っているか否かを指し示すのに用いられる。


これを見た時に頭のいい人なら気づいたと思いますが「ある時点において広く行われているスタイルや風習のこと」を指すと書かれています。

そうなると系統などカルチャーなどを含め、集団とならなくてはファッションとは言えないのかもしれません。
ただ服という布を着る事だけがファッションではないのは皆さん感覚的にわかると思います、

よく最近、個性的という事をいう方もいますが他人と違う事が個性というのではなく、個性とは本来、自分が幼少期や現在受けてきた物に付随する物なんです。結局文化と繋がるんですよね。
系統(文化)の中でファッションは存在するという事は系統を定めなくてはなりません。

ファッションの自由とは文化を自由に選択するという意味や文化の中で自由に選択する物であったりするんですね、その文化のルールやマナーに則りする事のようです。
そして自由に選択する、というのは全てに近しい物を知りその中で自分を律する事こそが自由ではないでしょうか、無限に近いファッションを知り、その中で一つを選ぶ、それをすることにより洗練され、尚且つ自由であると思います。





と、ここまでやるのが最近よく見るお洒落という方々なのですがここには一つ大きな「落とし穴」があるのです。
ファッションはある時点において広く行われているスタイルや風習という言葉、このある時点というのはファッションをする時代、それは「現在を指す言葉」でもあるのです。

実際、今ファッションをするとなると絶対に今の時代というのがついてきます。

これは流行然り価値観であり、ファッションにおいて文化というものがついてくる以上、どうしてもせざる負えない物なのです。

何故「文化」がついてくるか、皆様は知っていますか?
人間は娯楽と社会の中間に存在する生き物です、そう言った文化の中で育つ以上ファッションのTPOとして存在し、それがファッションとなり派生していく。
2021年現在コロナという物が蔓延り、外出できない状況にあります、そして今ファッション疲れという物からカジュアルウエアが台頭してきています。このように人々は社会に影響される生き物なのです。

これは「ゲンジさん」や「MBさん」が言っている「ドレスとカジュアル」という物になったり「ナチュラル、ストレート、ウェーブ」のような体型理論が必要になったり、「色の相性の色彩理論」が必要になってきたりするんです。

なのでそこの採点においては全ての人に適応されます。だからこそ少し前の物は価値観が違うためダサいとなるのです。そして今、90年代ファッションが流行っていますがヒップホップに偏り過ぎてただのカジュアルウエアーになってしまいダサいとなっているわけです。


ですが最近の方々のファッションを見ているとその自分の精通する媒体で他の物を採点しようとしてる方をよく見かけます。これはおかしな話ですよね。


数学の問題に古文の解を突きつけるような物です。


基準は現代の価値観、その媒体(系統やカルチャー)に対してのお洒落の定義、によって採点され、そしてお洒落かどうかとなるのです。

系統を選ぶのは自由ですが時代に合わせるという面では不自由性が出てくる物、それがファッションです。結論、ファッションは自由ですがお洒落かお洒落じゃないかという面においては自由ではないとなるのです。

次回はお洒落の定義について事細かく説明していきます

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