つらいおはなし

もう、時効なんじゃないかなあって思って。


去年の定期演奏会

見出しでお察しの方もいるかもしれません。そういうおはなしです。


選曲

去年の定期演奏会、選曲段階からとっても楽しみな曲目がありました。正指揮者先輩から職権乱用(?)で、決定前に「この曲やってもいいですか?」とパートのグループにメッセージが送られてきました。
見ると宇宙の音楽。パート譜写真も少しだけ送られてきた覚えがあります。

そんなの、いやなわけないじゃないですか。私は難しい譜面の方が燃えるタイプなので、当たり前に大歓迎でした。というか、吹奏楽をやっているなら絶対に一度はやってみたい曲だと思っていたので、本当に嬉しかったです。


パート割

私はホルンパート内では上吹きをすることが多かったです。というのも、パート内での担当の棲み分けが心地よいくらいに出来ていたので、私がわざわざ苦手な低音を担当するまでもなかったというわけです。

宇宙の音楽ソロは、どう考えても吹く人は1人に決まっていました。それはもう誰も話さなくても、最初からホルンパート皆思っていたと思います。その上でパート割を決定するとき、私が一体どんな顔をしていたかは分かりませんが、渡された楽譜は1stでした。変態なので、めちゃくちゃ燃えるし嬉しかったです。


練習

1stの楽譜を吹くことは難しいけれどやりがいのあることでした。ただ、1stを吹かせて頂けることのそれよりも大きな嬉しさは、先輩のソロをいちばんの特等席で聞ける環境だということ。
緊張感の張りつめるあの空間で、尊敬する先輩のソロを合奏のたびに聞いていました。やっぱり先輩の音好きだなと感じたし、目指す場所でもありました。


アンサンブル

定期演奏会について話す上で、絶対に外せない話。それは、金管5重奏です。

アンサンブルを何かやりたいなあとはぼんやり思っていたのですが、まさかお誘いして頂けるとは思っていなくてすごく嬉しかったのを覚えています。
送っていただいた音源を何度も聴いて、味わっていました。どんなアンサンブルになるんだろう、とわくわくしていました。

全員が揃って練習できる日がほとんどない中で、少人数での合わせをしていました。やっぱり、Tuの先輩と2人で練習したのが印象に残っています。
先輩の音楽観を、このアンサンブルを通してたくさん知りました。というか何より、本当に音が良いです。聞き惚れるくらいに。
他のメンバーとも練習していて、回を重ねるごとに良くなるのが手に取るように分かりました。私はあまり音楽に対して積極性のある意見を持つ方ではないけれど、良くなってるって自信をもって言えるほどでした。

オーディションの話は、省こうかなと思います。ただ1つ言えるのは、私は、絶対に定演で演奏できると確信していました。理由は分からないけれど、先輩たちと、このメンバーとなら絶対にいい演奏ができると信じていました。


あのこと

金管5重奏の再オーディションが終わった日から、なんとなく不調は感じていました。
…まあ、発症したのは翌日の夜です。何をとは言いませんが。

私は結構楽観的な性格なところもあるので、あんまり心配していませんでした。だって解熱剤飲んだら熱下がってるし。どうせ定演、出れる。って、そう思っていました。
母が医療従事者なので、検査をしないという選択肢は生まれず、検査をしに行ったら、まあ、お察しでした。さすがに驚きすぎて、家に帰るまで放心状態でした。

あせって

パートの先輩に連絡しました。焦ってしまって。
今思うと、隠し通したりすることだって出来たんです。ただの体調不良だって、言い通したかった。でも、その時の私にはそういう考えが浮かばなかった。

部活中に先輩から電話がかかってきて、思わず泣いてしまいました。定演出れないのかな、先輩たちと最後の舞台なのに。つらかったです、本当に。


部長として

私は何を思ったか、当時の部長だった先輩に懇願するメッセージを送りました。定期演奏会に出させてください、という内容です。
健康観察期間が終わる日と、定期演奏会の日が確か1日か2日違いだったので、奇跡みたいに誤魔化しがきいたりしないかなって思ったんです。

部長さんからは、それは出来ないという内容の返信が来ました。そんなの当たり前です、わかっていました。でも、それ以上に、私はこれから部長になる人間としての愚かさを自覚しました。
まるで自分のことしか考えていない。私が演奏会に出たいというその気持ちだけで動いている。その結果、他の部員にどれだけ影響を及ぼすか、部の責任を負えるのか、全く考えられていませんでした。
このことが本当に心に強く刻まれています。言いにくいこと、私に足りていなかったことを気付かせてくださった先輩に、すごくすごく感謝しています。

つらい時間

という感じで、定期演奏会に出られないことが決定してしまいました。それはそれは死ぬほどしんどかったです。「人生で一番つらかった瞬間はいつですか?」と聞かれたら、間違いなくこの時だと答えるくらいには、精神的にきつかった。

この間、たくさんの人に励ましの言葉をもらいました。本当に救われました。
何度泣いたか分かりません。隔離されたホテルの一室で、自分とそれ以外のすべてを恨んだ、とてもつらい時間でした。


どうしてこれを書いてるのか

というと、ss先輩がお書きになった納会後のnoteをさっき読んだからです。定演への感情があふれてしまって、勢いで書き始めました。今は深夜3時前。おはようございます。

でも、先輩のnoteはひとつのきっかけです。いつかは書きたいと思っていました。人に話したところで気まずくさせてしまうから、それならただ私の感情のはけ口としてnoteを使おうと。

だけど、私の中では「これを書いたところでどうにもならない」という気持ちがかなりあって、それが書くきっかけをなかなか生まなかった理由だと思います。書いたところで時間を戻せるわけじゃない、やり直せるわけでもない、それならもう触れない方が自分のためなんじゃないか。自分の感情に蓋をしていたのかもしれません。

でもやっぱり書きたかった。私が定期演奏会にどんな思いを持っていたのか、せめて読んでくれる人には知ってほしいなと思いました。


部活のメンバーと、私が定演に出られなかった話になった時、まあ全然気にしてないし~もう前のことだし~みたいな感じでいつも振舞っています。3割くらい本心で、7割は嘘です。全然気にしてないわけないです。でもそう言うしかないと思っています。それこそ、場の雰囲気を壊したくないので(前note参照)。


本心は、定演めちゃくちゃ出たかった。宇宙の音楽を吹き切りたかった。あのソロを、いつもの特等席で全身で浴びたかった。あの金管5重奏だって、きっと良い演奏が出来た。先輩たちと最後の舞台を、先輩の最後の指揮で吹きたかった。たくさん練習してきた曲を、全力で吹きたかった。
後悔は募るばかりです。これがずーっと誰にもちゃんと話さなかった本心です。
この感情を誰かに聞いてほしくて、noteにしました。

書いている側も見ている方もきっとしんどいですよね。でもこれはそういう、自己満足のnoteです。
ただ定演前にあったことと、感情を書くだけのnoteです。オチもなにもありません。


誰にとっても

生産性もなにもない、ここからは何も生まれない、書き殴りのようなnoteを読んでくださってありがとうございます。
定演に出られなかった分、サマコンと次の定演にかける気持ちは人一倍強いと思っているので、乞うご期待、です。頑張ります。


ちょっと明るい感じで締めるとするなら、みなさん体調管理には気を付けましょうね!!です!
ということで、終わります。ありがとうございました~。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?