ドーナツの穴
こんな歌詞があります。
この歌詞を初めて聴いた時、なんとも言えない不思議な感覚というか、そういう哲学的な思考を歌詞に盛り込むのってすごいなと思いました。
ドーナツの穴というのは、ここでは空虚さの象徴といえるでしょうか。
ドーナツは、生地があるからこそ穴が穴として成り立っています。もし生地がなければ穴なんてない、そもそもドーナツなんて「ない」わけで。
ドーナツの穴を穴だけを切り取ることは不可能です。
自分の胸にぽっかりと空いた「あなたがいない」という穴。空虚感、喪失感。
欠けてしまった部分は、「あなた」ありきの存在です。「あなた」がいなければ、そんな風に欠けてしまうこともなかった。
だけど、今自分に残るのは、この穴、つまり空虚感だけです。
この穴に注目しても、「あなた」がいたことを証明できない。なぜならそれは「空虚」だから。
「無からは何も生じない」という理論があるそうですが、その通りで、あなたがいないことによって生まれた「空虚」は、あなたを証明する術にはなりません。
…と、ここまで書いて、私は何が言いたかったのだろうと我に返りました。これじゃあただの歌詞解説noteじゃん。
なんでこんなことを書き出したのかというと、この前お友達の授業のお手伝いで哲学的な問いを考えたからかなあと思います。
「どうして、内側はたいていかくれているの?」…今でもふんわりとしか答えは出ないけれど、こういう頭の中でぐるぐる考える問いは、長い夜にぴったりですよね。
大学に入ってからは哲学的思考をする機会がめっきり減ってしまったからか、普段使っていない頭の一部分を呼び起こしたような感覚で、やっぱり自分って国語好きなのかな〜とか思ったりしました。
noteの行き着く先がよく分からなくなりました。もっとよく分からなくなる前に終わります。
おやすみなさい。
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