自分の性格に触れて


性格を知ることって

おもしろいよね、と言いたいのです。

突然ですが、皆さんはmbti診断ってやったことありますか?mbti診断は、簡単にいえば「性格診断テスト」です。

MBTI (Myers–Briggs Type Indicator、マイヤーズ=ブリッグス・タイプ指標)は、個人がどう世界を認識し、物事への決定を下すかについての心理学的な選好を示すことを目的とした、自己申告型のアンケートである

MBTI - Wikipediaより

数年前から、恐らく韓国を中心に流行し始めたものが日本で徐々に広まってるのかな、と思います。


何を隠そう私はmbti診断が大好きです。自分の性格を他者(というかコンピューター?)に言い当てられると、なんとも言えない不思議でくすぐったい気持ちになります。

「性格」って、いうなれば自分そのものであって、自分が一番よくわかるはずなのに、コンピューターには「あなたのmbti」として、自分すら思いつかなかった言葉がたくさん並ぶ。そんなふうに、自分も知らない性格、すなわち自分も知らない自分がいるんだって思うとなんだかわくわくします。

自分自身の性格だけではなく、友人や後輩先輩のmbtiを知るのもとても好きです。「そうそう、この人ってこういうところがあるよね」って思う、そういうのすごく楽しいんです。



さて、前置きはこのくらいにして、今回は私が思う私の性格について話してみたいと思います。


mbtiが教えてくれる私の性格

私のmbti診断の結果は、”ESFJ”(領事型)です。多分mbti診断で一番有名な16Personalitiesというサイトで4回くらいやりましたが全部ESFJでした(暇か?)

ESFJ(領事型)の性格

  • 協調性があり、誰に対しても優しい

  • 思いやりがあり、困っている人がいればすぐに手を差し伸べる

  • 周囲からの信頼が厚く、老若男女問わず多くの人から慕われる

  • 場の空気を読むことが得意

  • 繊細で、人から言われた何気ない一言にクヨクヨする

  • 断りたいことも断れずに引き受けてしまう

  • 承認欲求が強い

  • 型破りな人に批判的

確かにそうかもな~と思うことが多々ある反面、「これはちょっと違うかも」というところもあります。


場の空気を読むことは比較的得意だと思います。いや、得意というより、場の秩序をとても大切にしたいタイプな気がします。

いろいろな私の行動の根底には「場の空気を保ち、秩序を守る」という信念みたいなものがあると思います。空気が悪くなることが何よりも嫌だし、それがもし自分が原因だったらもっと嫌。これは「断りたいことも断れない」っていうのに繋がってるのかもしれないですね。

逆に、人から言われた何気ない一言にクヨクヨする、というのはあんまりないかもしれないです。

もちろん傷つくことを言われたら落ち込みます。人並みに食欲も落ちます。でも、ストレス耐性が高いのか自分が馬鹿なだけなのか分かりませんが、基本寝たら忘れています。翌朝になったら思考が一旦全部リセットされている感覚。…まあ、都合いい人間ですよね(笑)自分のこういうところは嫌いじゃないです。

あとは、「周囲からの信頼が厚い」とかは…どうなんでしょうか。自分では分かりません。部長として前に立つ存在である以上、そうありたいとは願っているけれど。

同期の皆はとっても優しくて私に甘いので(皆いつもありがとう)、私のことを褒めてくれることが多いのですが、あまり話さない子たち、後輩たちは果たして部長としての私をどう思っているのでしょう。気になりますね。


他者から見た私

ちょっぴり性格とは外れた話になりますが、他者からみて私ってどんな人間なのだろうと考えることがよくあります。よくあるどころか、いつも考えています。

部活でよく話をする同期からみた私は、たぶん「割と明るくて、アホっぽくて、メンヘラで、でもやる時はちゃんとやる部長」なんじゃないかなと思います。
自分が自分を認識するキャラ付けとしては、そんな感じです。もしこの認識であっているならば、かなり私の素に近いです。

あまり話したことのない同期、後輩からみた私は、「ちょっと抜けてるけどしっかりした部長」くらいかなと思います。
ちょっと抜けてるとかを自分で言うとなんだかキャラ作ってるみたいですが、そういうわけじゃないです。抜けてるっていうか忘れっぽいことは自覚ありますので。

という認識なんですけど、これを読んでる方は私のことをどう思われてるのでしょうか。


陽キャって

ある時某木管セクリさんに「陽キャなんやろな」とおっしゃっていただきました。その節はありがとう(?)

実はあんまり自分で自分のことを陽キャだと表現するのはしっくりこないんです。


というのも、私の思う「陽キャ」は、「人間大好き!楽しいこと大好き!一生盛り上がってようぜ!」って感じの人間なんですけど、私はそこまで人とずっと一緒にいたいわけではないです。

仲のいい人と一緒にいるのはすごく楽しいし、幸せな時間ではあるけれど、それと同じくらい1人でいるのが好きです。というか1人で行動するのが楽です。何にも気を遣わなくていいから。


書いてて思ったけど、これってさっきも書いた「場の空気を保ち、秩序を守る」ことが私の信念であるということに繋がってる気がしました。場の空気を保つことが自分の中ではエネルギーの必要なことなんでしょうね、多分。でもそれが自分のポリシーだから、それをしないという選択肢はない。
それで、1人でいるとエネルギーを使わなくて済むから楽だと感じるのかもしれないです。新たな気付きを得ました。言語化ってすごい。


ちょっと話逸れましたが、1人でいるのが好きな自分自身のことをあまり陽キャだとは思っていないです。人から見ると陽キャに見えるのかな。見え方ってむずかしいですよね。


見え方を気にしてしまう癖

私は、人からどう見られているか、どんな人だと思われているかを過剰に気にしてしまう癖があります。

簡単なところでいうと、例えば大学内を歩いているところ、ホームで電車を待っているところ、その全ての瞬間を「人に見られている」と思いながら生活しています。
特に大教付近だったら、「いつどこで知り合いに見られているかわからない」と常に思っています。

そういう認識をしているという前提で、私には「いつでも正しく美しく生きている人間だと見られたい」という願望があります。いわば一種の完璧主義なんだと思います。

この傾向はもしかしたら高校生の時からあったかもしれませんが、大学に入って一気に強まってしまいました。大学の吹奏楽部という、中高よりも大きなコミュニティに属しているというのが主要な理由の一つでもあると思います。


もう慣れはしましたが、やっぱり大学構内を1人で歩くのはすごく自分に負荷が掛かります。いつどこで誰に見られているか分からない、という気持ちがあるので、常に気を張って生活しています。


他の人がどんなふうに考えているか分かりませんが、どう考えても私は生きにくい人生を自ら選んでるような気がしてしまいますね。完璧主義みたいなとこ、やめたいです。



性格を知ることって


おもしろいよね、というお話でした。誰にも話したことのないようなお話もたくさんしました。

よかったら感想でもなんでも教えてください。ありがとうございました〜。

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