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窓から見える旅

昔々、飛行機は本当は飛んでいなくて、乗った時点で周りのセットが変わってどこか違うところに行った気にさせられてると思ったりしたことがある。
見えるのは飛行機の小窓から見える世界だけ。
そんなことはありえないのだけど、家の窓の外の景色を見ながら、ふと思い出した。
旅したことはその瞬間は体験だけど、旅を終えた瞬間から過去になり、旅は記憶になる。
記憶とは鮮明で、曖昧である。
一度も海外に行ったことがない人が、海の向こうのことを想い、そこに自分が居ることを想像したなら、それも旅である。
遥々、海を渡ってきた珈琲豆で薫り高く珈琲を淹れて味わった時、アフリカや中南米の景色がふと浮かぶ。
世界各国から海を越えてやってきたスパイスたちを鍋の油にジュッと入れたなら、瞬間に広がる香りで、異国の旅に脳はすっ飛んでいく。
今はスマホで、世界各国のこの瞬間に現地で流れているラジオをこの部屋で流し意識を現地へ飛ばすこともできる。
旅は「体験」であり、「記憶」であり、「想像」である。
いつでもどこでも旅の入り口はある。
そして掴んでは消える夢のようでもある。
また旅して、海外の土地に足を着けて、全身で土地の空気を感じて吸い込んだ時、今この部屋で旅を想った気持ちを思い出すだろう。
そして懐かしく思うだろう。
窓の外の景色を見ながら、今はそんなことを考えている。

(2021.2.15
北海道新聞みなみ風“立待岬”掲載)

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