「うみねこのなく頃に」を読み返して


内容に触れますのでご注意を。


このごろは意識して、十代の自分がハマったフィクションに触れていました。どうしてでしょうね。とにかく、総復習していました。

「うみねこのなく頃に」もそのひとつ。読み返して、あらためて、大したお話だと感心しています。ミステリ、ファンタジの各成分を上手に組合わせて、オンリワンのお話に仕上げています。

ミステリの面では、「現実で起こすとすれば不自然だけど、トリックとして可能であるなら話として成立する」慣習と、アレな犯人とを上手く組み合わせました。犯人のセリフ「わたしは、だあれ?」は、たったひと言なのに、誰かになれて・でも誰でもない犯人の設定や、しかるべき人に気付いてほしい犯人の思いを表現できています。作者すげえ。事件のカラクリを知る前は謎の提示でしかありませんが、すべてを知ったあとにもう一度聞くと、心にくるものがあります。

ファンタジの面も、やはり人の悩みと結び付けて、魔法を生んだ設定を上手く作りだしました。


事件の真相を追うお話なのに、そもそも事件がどのように起きたのか終盤まで語られないのも、「うみねこ」が他の謎解き話と異なる点です (「内容が分かっていない事件について、どうトリックを暴くんだ」と言うお方もいるかもしれませんが、まあ、そういうお話なのです)。で、実際に何が起きたかといえば、密室殺人、ましてやトリックのある殺人でもなく、かといって魔法でもなく、ただカオスな争いでした。

この、どっちつかずな展開は、発売前のコピー「アンチファンタジ vs アンチミステリ」どおりです。読者ははじめ「ミステリ vs ファンタジ」程度の認識でいたかもしれませんが、新しいエピソードが発売されるにつれ、その表現では不適と気づかされることとなりました。真相がどっちつかずであるのは、誰かになれて・でも誰でもない犯人にもリンクします。


あらためて読んでみて、犯人の行動について、解せない点がいくつか出てきました。お話の設定AとBの辻褄を合わせるために、犯人が無理に歪められて繋ぎ合わされているような、そんな感覚です。事件が未遂になるチャンスや、犯人の望みどおりになる展開になるチャンスがいくつも用意されていたのに、作中ではことごとく別の選択を踏み抜いています。

ただ、迷い拗れている犯人もまた、このお話の魅力のひとつなのだろうな、とも思えました。誰かになれて・でも誰でもない犯人の、アイデンティティに関する境遇と悩みは、ときとして読者の感情を揺さぶります。悲劇に自分から向かってしまう不器用さと、素直になれない気持ちが、何か生き辛さのある読み手に刺さるのかもしれません。


2018年に新作「咲」が発売されていたのですね。

冒頭の、十代の自分総復習をちょうど行っているときに知りました。外伝的なお話をなるべく読まないようにしているのですが、何かの縁だと解釈して読んでみました。読んだ方々の反応も良かったですし。

感想ですが、、そうですね、内容のわりには高額かなー、なんて。例えるなら、調子良く書き出したけれども、途中で飽きて、早々に切り上げたような印象を受けるスクリプトでした。あらすじとしても「もしもあのときこうだったら」というストーリで、本編への影響や新しい解釈もとくにありません。いまさら手を入れられないほど、本編の完成度が高い、と言えるのかもしれません。


という感じで、新作がナイスなタイミングで発売されたりと、充実した復習期間でした。また折を見て読み返したいです。素敵な一作です。


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