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拝啓、推しのいる生活

シンディがいてくれるから
タクロウもしっかり休めるんだよ。

ヤマサキセイヤが言った。今一番必要で、適切な言葉だった。長崎まで来た甲斐は確実にあった。

自分にとってのキュウソネコカミは、ときに「偶然」を「必然」と感じさせてくれることがある。それは何もバンドに対することとは限らない。キュウソを通じた出会いであったり、そこで出会った人の考え方であったり。特に計画したわけでも願ったわけでもない、おおむね「偶然」の出会いや事象であるにも関わらず「必然」、もっといえば「必要」だったりする。

なんだかうまくいかない時もある。若い頃ほどしゃかりきになることは減った。世間はそれを大人と呼ぶのだろうか。そんなかっこいいもんじゃない。なんとなく諦めること、流れに身を任せることを覚えただけ。

幻となった2020年のツアーで一番観たかった場所は地元のライブハウスFAD YOKOHAMAだった。あの時は取れたチケットが、今回はとにかく手に入らなかった。入手したい人の必死さやザワザワ感、入手できた人の優越にも似た達成感、両極端が乱立する感情の狭間。居たたまれなかった。もし幸運が存在するのなら、今回の分は次に持ち越そう。私は早々に戦線離脱した。

JAPAN JAMから始まった私なりの春フェス、雨のキュウソは本当にかっこよかったし、ヨコタさんの表情に心を奪われた。ずっと来たかった念願のOTODAMA、それだけでも充分、ただでさえ居心地が良いというのに、披露された驚愕の新曲。その余韻も冷めやらぬままに始まったDMCC2022、長野CLUB JUNKBOX。むかし住んでいた、たまには帰りたかった場所、程度のつもりが、そういう次元では済まなかった。翌日のパシフィコ横浜はヨコタさんが叫ぶ「横浜ーーー!」を聞きたい一心、その願いはちゃんと叶った。本番直前に雨がやんだメトロック東京。絶対に聴けないであろう曲を披露してくれたリハ、最後の最後は大爆笑、ド頭から根こそぎ気持ちをもってかれた。

確かに私は、FADの中に入れなかった。必要以上に執着しなくて済んだのは、ざっと集約しただけでもこれだけ充実していたこと。チケットを取るのを手伝うと声をかけてくれた人がいたこと。実際にライブに行った人が、どんな感じだったか教えてくださったこと。仲の良い友達に至っては、頼んでもいないのにチケットを申し込み、共にハズれ、当日は一緒に居てくれた。

うまくいかないことから生まれた、大切なキセキの数々。もしすべてがうまくいっていたら、気づくこともなく、見失っていたかもしれない。

そして何より、彼らは1回1回のライブに対して、特別感を凝縮してくる。その時にしか味わえない特別な何か。もっといえば、その場にいなくても間接的に受け取れるような気さえする。

どんな時も続けてくれて、本当にありがとう。そしてシンディさん、いつも支えてくれて、一緒に楽しんでくれて感謝しています。シンディさんがいるから、今を心から楽しく過ごせるようになりました。本当に本当にありがとう。

(もっと妥当な表現はないものか。馬鹿の一つ覚えみたいに、これ以外の言葉が浮かばず常にもどかしい、、)

好きでいることで楽しくいられたり、自然と上なり前なりを向けたりする。憧れるがあまり、時に苦しくもなる。これが「推しのいる生活」なんだろうか。フェス会場の後方で遠巻きに眺めてた時期もあった。初めて行った対バンなど、ライブハウスの壁に貼り付いてたのに、いつの間にかヤマサキセイヤの足元を支えたくなっていた。

仮に後方にいたとしても、しっかりフォローしてくれるのは、いつだってヨコタさんだ。長崎で聴いた「推しのいる生活」は、体感したことが丸ごと宝物になった。正味2秒程度の出来事は、スローモーションのように何時間にも感じた。繰り返し脳内再生したいし、あの残像だけで生きられる。とてもとても幸せだった。神整番だから、地元だから、そういうことじゃない。キュウソネコカミは、どんな時も、”今” を楽しませてくれる。

「推しのいる生活」正しくは「キュウソネコカミのいる生活」は、良い意味で裏切られる予測不可能な日々の連続。そんな私のDMCC2022も、気がつけば折り返し。2022年も半分が過ぎようとしている。充実するがあまり、時間の経過があっという間だ。当たり前じゃない、その時にしか味わえない瞬間を、今まで以上に大切にしたい。

キセキはこれだけじゃなかった。
それはまた別の話で。敬具。

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