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プロフィール

株式会社ユーフォリア代表取締役CEO
熊本生まれ 大阪府吹田市育ち
早稲田大学教育学部国語国文学科卒業
ダートマス大学 Tuck School of Business 修了 (MBA)
慶應義塾大学システムデザイン・マネジメント研究科講師

幼少時から高校までずっと野球
小学校から投手をやり登板過多。小学校6年時には今とほぼ変わらぬ身長で既に野球肘と言われて右肘が伸びず、毎週整形外科に通う。

幼少時からずっとスタジアムフェチ
特にスタンドの傾斜が好き。
砂場でスタジアムの傾斜を作る。

スポーツ観戦は、幼少時から、ラグビー、サッカー、野球、相撲、ボクシング、アメフト等すべて。愛読は一般紙、スポーツ新聞、Number。

大きな身体にモノを言わせて、隣の小学校に喧嘩に出かけるのを趣味とする
同級生を無理やり連れていき数々の迷惑をかける

小4時に校内に血判状をまわし、5年・6年まで多くの判が集まってしまい引っ込みがつかなくなる
大人数で自転車で乗り込んで、警察を呼ばれる

大阪市内の私立高校に入学後に野球部がないことに絶望し、神奈川県内の県立高校に転校する
野球部に入り毎日野球が出来る喜びに浸るも、ある日突然、父から「あまりにも野球ばかりやり過ぎだから、来週から大阪の高校に転校な」と宣告される
激しく抵抗するも大人同士が決めた取り決めを覆せず、転校。大人の不条理への強い憤怒を長く抱く

大阪に再転校した高校後半より文学に耽溺し始める
谷崎、安吾、鏡花、三島、バタイユ、ブルトン、コクトー・・

大学時代は連日麻雀、朝まで麻雀か飲むか映画を観る。
自堕落極まる。
映画は最大年300本超。すべてノートにつける。
ベンダース、ジャームッシュ、キアロスタミ、ソ連、インド、イラン・・


卒論は「谷崎潤一郎の「鍵」に見る足フェチシズムとサドマゾヒズム」

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卒業時までに文学賞を得てデビューする目論見外れる
4年になり、かなり遅めに就職活動を開始し、面接で谷崎の変態性とサドマゾの深淵(単純なサディズム・マゾヒズムといかに違うか)を熱く繰り返し語り連戦連敗。
某社で求められた「学生生活で得たもの」という小論文に、「私と酒」という大作を提出。後日喫茶店に呼び出され、「君、大丈夫か?」と心配される。
唯一、たまたま谷崎マニアの人事マンの居た会社の面接で意気投合し、同社に潜り込む
(メルセデス・ベンツ日本法人)

仕事をろくにせずに書き上げた過去最大の自信作が一次予選落選
それまでどんな駄作でも最終予選・最終選考に残っていたのに一次落ちとは、と荒れに荒れる
渋谷で飲んでいて途中から記憶なく、気づいたら翌日昼に横浜の路上に全身血だらけで倒れており、多くの人に遠巻きに見つめられる(なんと薄情な都会の人たちよ)

神が「ひとたび擱筆せよ」と下した裁きと解釈し、仕事をしてみることに。
そうしたところやたらと仕事が楽しくなる
自動車ディーラーの立て直しの仕事をひたすらにやり、人に感謝される喜びを知る
これを業界にかかわらず本業としたい、と思い、米国MBA留学を思い立つ

しかし、TOEICは350点であり、「運の良いチンパンジー」並の英語力しかなし
大晦日に「一年だけやらせてくれ」と妻に談判。あっさり受諾。
同じ会社の人事教育担当だった妻は、「この英語力で受かるはずがない」と高をくくっていたとのこと

1年間ほとんど寝ずに食事時間も含めて猛勉強し、最後の最後にTOEFL/GMATのスコアを出す(試しに受けてみたTOEICは余裕でほぼフルスコアを出す)
最も行きたかったダートマス大学TUCK Schoolに合格し、妻にも会社を退職してもらい、当時2歳になった娘と三人で借金して留学

極寒の、アメリカニューハンプシャー州ハノーバーにあるTUCK Schoolで2年間家族で、生活保護受けながら楽しい貧乏暮らし。当初英語通じず気が狂いそうになるも、三ヶ月したら突然すべて聞き取れるように。
2年間アイスホッケーと勉強とBBQに没頭する幸福な日々。

途中で借金した金もなくなり、各所に談判。足りない学費を出してくれたアクセンチュア戦略グループに入社し、帰国。

3年の予定でアクセンチュア戦略グループで働き始める。最高に楽しく、刺激的。一方、報酬が高く、知的刺激はあるものの、当事者ではなくなっていく危機感を感じ始める。

父親が脳出血で倒れ、植物状態になった(最終的に6年に及ぶ)ことを機に、人生の有限性と予測不可能性を突きつけられ、予定を早めて退職し独立。橋口寛事務所を設立し、コンサルティング、企業研修、企業再生を業とする。

PEファンドのアドバイザーとなり、投資先企業であった高級洋食器メーカーの鳴海製陶にコンサルティングで入る。
当初は週1日だったのが、2日になり、4日になり、ついに週5日へ。
最後は常勤で経営企画室長を経て取締役本部長に。

ブランド再構築、直販チャネル開拓、人事、マーケ、デザイン、試作開発、EC、直営店、新規事業立ち上げ等を管掌。
マラソン大会・駅伝大会等にチームを組んで出場。
5年を経てようやく手応えを感じ始めたところで、人員削減と店舗リストラに着手。半年間リストラに直接従事した後に引責退任。
毎晩眠れず体重激減。
退任直前に発表した新ブランド「OSORO」は、伊ミラノサローネ、独iF、等多くのデザインアワードで最高賞を受賞。このあたりの話は「デザイン・マネジメント」(日経BP社)に詳しい。

企業価値評価セミナーで出会った盟友宮田誠と株式会社ユーフォリアを創業。
当初はコンサルティングと事業プロトタイピングをひたすら行うも、2012年秋にラグビー日本代表のGMからの打診でコンディション可視化ソフトウェアの開発を開始。
2013年春から代表合宿で使用開始。このプロダクトが「ONE TAP SPORTS」となる。

2015年秋、ラグビー日本代表が南アフリカ代表を破る「ブライトンの奇跡」が起きる。明け方の恵比寿の「HUB」で仲間とその瞬間を目撃し、全感情がメルトダウンする。

「ブライトンの奇跡」をきっかけとして各方面から注目いただき、現在、各競技の日本代表チームや、プロ野球・Jリーグ・Bリーグ・トップリーグのチームから大学体育会、高校部活動、など多くのカテゴリーで2,000強のチームで利用されている(日本代表も26競技)。

なお、慶應大学大学院SDM研究科では、2013年から「起業デザイン論」等の講義を担当する。

講師の富田欣和と共に「Sports X Conference」を企画・主宰 。2016年から始まり、4年間で4,000名以上が参加。

スポーツ界の人材育成プログラム「Sports X Leaders Program」も2017年から主宰し、4年間で100名以上が修了。

紆余曲折の末、ぐるっと一周し、「スポーツ」という天職にめぐり合う。


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