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幕末諸々備忘録 その一 『新選組三部作』


「幕末諸々備忘録」として、旧住所ブログからいくつかエントリをサルベージしておきたくなり、その一。

(2018/5/5)

幕末もののよさは、当事者の直話が残っていることで、その意味でやはり子母澤寛の『新選組三部作』は面白い。


最初の『~始末記』の発表が昭和3年(1928)で、明治維新から60年。

60年くらい前ならなるほどまだ当事者はけっこう存命していたわけで、2018年でいえば1958年(昭和33年)くらいの話を自分の親(戦中生まれ)に訊くようなものであるから、記憶違いや思い込みも当然あるにせよ、ある程度は、話半分は、信用できるといってよいのではないか。
うちの親が初代ゴジラ封切りの長蛇の列の話をしているのを聞くのと同じである(?)。

↓ 以下のくだりなど大好きなのである。

‥‥‥秦泰親氏が父(篠原泰之進)の奮戦の跡を見るため、後年油小路四辻をたずねた時、角のところに麻屋(麻縄を売る店)があってその老婆が、当夜の戦闘の有様を、二階から覗いていたといって、話してくれたそうであるが、朝になると、四つの死骸がある許りでなく、沢山人の指が落ちていて、どの家の大戸も軒も血だらけになってところどころの壁には鬢の毛のついた血肉などがべったりとくっついていたとの事である。(『新選組始末記』 五四 油小路の屍)


 この夜の月は、鏡にも増したと見え、敵味方、互いに一人ずつ、その顔がわかったというが、篠原の嗣子泰親氏が、後年亡父の戦跡を訪ねた時、その油小路の辻角に麻縄を売る店があって、その家の婆さんに逢っていろいろと話をきいた事を、前年筆者に語ったことがある。
 婆さんの話によれば、斬合がはじまってから終わるまで、小半刻もかかったが、その物凄い人々の叫び声というものはまるで、修羅地獄で、どの家でも、勿論戸は下ろし、二階の太格子の間などから、びくびくしながら覗いていたが、朝になって見ると、その辺に、人間の指が沢山落ちているし、民家の戸や窓に、生々しい肉のついた髪の毛が、ところどころくッついていたという。
(『新選組物語』 月下の死骸)


『新選組三部作』を、魔術のような筆力でエンタテインメントとしてアップデートさせたのが司馬遼先生の傑作『新選組血風録』であり、最初のエピソードは「油小路の決闘」である。

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その伊東甲子太郎暗殺には、近年写真 ↑(1897年・明治30年撮影)が発見された斎藤一の間諜としての存在があり、その斎藤一が後年「天満屋事件」について語ったものが以下 ↓

‥‥‥そこへどっと斬り込んで来たんだ。
 相手もなかなか冴えたもんだった。何しろ行燈が消えて真っ暗で、しかも狭い座敷の中だからやり切れない。夢中で暴れている中に、どうも三四度刀が自分のからだにさわったように思うが痛くもないので、なおも頻りにやっていると、
「其奴は何か着ているようだ。斬っても駄目だから、突け、突け」
と叫んでいるのが聞こえた。
‥‥‥自分は傷一つ負わなかった。これも鎖帷子のおかげで、あれは実にいいものです。
‥‥‥実際刀を抜き合って、
「さァ来い」
となると、敵が、こう来たからこう避けて、こう斬る――なんてうまい事が出来るもんじゃない、ただ夢中で斬ったり突いたりする、敵がばったり倒れて、はじめて、
「まァよかった」
と思うくらいのものである。剣術なんてものは要するに、刀を早く振回すことさえ知っていればいいので、そういう時は、ただ早いとこ勝負だから。
(『新選組物語』所収 「新選組聞書~稗田利八翁思出話」)

迫力がある!

沖田総司の言説にも似た感じが↓

 沖田は、‥‥‥太刀筋が荒っぽかった上、非常に気短かだったので弟子達は恐れていた。沖田は説いて、
「敵を刀で斬るな、からだで斬れ、斬れ」
と教えた。
 これは、剣法を以て剣技とせず、一剣に全身を托して、刀と共に猛然と敵に当って行く意味で、云わば沖田の一太刀は、一か八か、のるかそるか、常に生命がけのものであったようである。
(『新選組遺聞』 沖田総司房良)


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