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宮古湾海戦、始末

幸運にも「漫画」という商売は今般のコロナ禍の影響を比較的回避出来ているのでは?と感じられるのだが、それはもっぱらデジタル作業、クラウド入稿している漫画家の話で、やはり編集部やアナログにこだわる漫画家にとってははなはだ難儀な事態なようである。

編集部がテレワークに移行しても、アナログ漫画家との打ち合わせ、原稿受け渡し等は、アナログ漫画家先生の年齢が高目な向きが多いから、大変そうなのだ。

‥‥‥


と、ひとしきり世界情勢を語りつつの、前住所ブログでもぶつぶつエントリ ↑ した、宮古湾海戦――甲鉄艦奪取計画についてなのである。

明治二年(1869)三月二十五日払暁(旧暦)、宮古湾に集結した「甲鉄」以下新政府軍艦隊に、旧幕軍の「回天」が単艦で殴り込み、「甲鉄」に接舷攻撃(アボルダージュ)をくらわし、分捕ろうと奮戦するも、ボッコボコに返り討ちにあった経緯は、司馬遼先生の『燃えよ剣』にも登場し、よく知られている。

「回天」と「甲鉄」の上甲板の高さがまるで異なり、「回天」のほうが3mくらい高く、容易に斬り込み隊が「甲鉄」へ乗り移られなかった間抜けっぷりも、よく知られている。

疑問なのは上甲板の高さの違いについて、旧幕軍側は知らなかったわけではないのに、なぜこんな「間抜け」をやらかしたのか?

以下、司馬遼先生も『燃えよ剣』で引用しまくっている『囘天艦長甲賀源吾伝』から

‥‥‥甲鉄を奪ひたる後は、其船長として往きに同艦を米国より回航したる小笠原賢三と定め、‥‥‥(一九五頁)

はるばる太平洋をメリケンから回航してきた人物が旧幕軍側におるわけである。

また、山内堤雲(六三郎)は――
(以下『箱館戦争銘々伝〈上〉』より)

‥‥‥山内は自分の立場を利用し、この艦(甲鉄)にしばしば往来し、得意の英語で交友を深め、艦の内部についても見学をしていた。
‥‥‥山内は‥‥甲鉄艦に、最新式のガトリング速射砲を積載してあったことを思い出し、是非ともこの中の一門を入手することを画策した。のちに実行した模様を自叙伝に、「……
余が品海に在りし時、しばしば横浜に往来し、暗夜東艦(甲鉄)に乗り入り、その積載の速射砲を始め、銃器弾丸を荷舟に移し、わが艦(開陽丸)に運搬せしことあり……」と。(303~304P)

「開陽丸」から引き上げられた弾種から、このガトリング砲は58口径のM1862と推測できるが、そんなことまでしてたんだ!というわけなのになんで?なのである。

実は、この「間抜け」にはやむをえない理由があって、当初の計画では、接舷して乗り込む手筈だったのは「回天」ではなく、作戦に参加した三隻の内の「蟠龍」と「高雄」だったのだ。

囘天艦長甲賀源吾伝』より

‥‥‥蟠龍、高雄の二艦は甲鉄の左右両舷に横接し、兵士は都て合印を施し、不意に起ちて敵艦に踊り込み、銃鎗又は剣槍を以て敵を衝き伏せ、一面には早く船門を扼して船内に乱射し敵を降伏せしむべし。回天は他艦を襲撃し、甲鉄を救う暇なからしむべしと策し‥‥‥(一九五頁)

『箱館戦争銘々伝〈上〉』より

‥‥‥山内は榎本総裁に請うて蟠龍丸に乗り込むことの特別の許可を得た。理由は、以前に横浜でアメリカから甲鉄艦を受領する役割であった関係で、甲鉄艦の内部を暗記している。甲鉄艦は舷が低く蟠龍丸が乗り入れるには最も便であること。甲鉄艦の内部は士官部屋の下に火薬庫があり、状況によっては、これを爆破することも可能であるなどを説明したのである。‥‥‥
(309P)


「回天」はもともと「蟠龍」と「高雄」の援護というか後詰めというか、新政府軍艦隊の他の艦を牽制する役回りだった。
大体、「回天」は外輪船であるからおよそ接舷などには不向きであることはいうまでもない。

「蟠龍」と「高雄」で「甲鉄」を両舷から挟み撃ちして、新選組や彰義隊や遊撃隊の陸兵が斬り込むとなれば、なるほど奪取計画の成功にワンチャンあるかもな?という印象をあたえる。

「蟠龍」と「高雄」が戦闘に参加できなかったのは、航行中の暴風雨で艦隊が散り散りになったり、機関の不調があったりしたためで、この「間抜け」は正直やむをえなかった!(迫真)。

と、ここまでのあれこれは、フィクションなどでも取り上げられる機会が多く、土方歳三が参戦していることもあってキャッチーな史実なわけである。(自分も実は先年…… ↓ )


もっとも、自分が想像するに土方は、不案内な船上で船酔いとかもあったりして、戦闘どころではなかったのでは?という気がするし、そっちのほうが挿話として愉快では……

で、その後の「回天」が箱館に帰還するまでの「退き口」エピソードは、「回天」より「蟠龍」「高雄」の二艦にとって、すごく劇的で、宮古湾海戦そのものに匹敵するくらい面白い史実なのだが、意外とこちらはフィクションなどでもあまり取材されていない気がする。

「高雄」は追撃した「甲鉄」「春日丸」「陽春丸」から逃げ切れず、浅瀬に乗り上げ自沈、「蟠龍」は「甲鉄」から間一髪逃げ切ることに成功し、ことに「蟠龍」艦長の松岡磐吉は、やたらにキャラクターの立ちまくった、自分としては箱館戦争における土方以上に興味深い人物なのだ。

そんな流れで、現在そうしたネームに取り組みを……

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↑ 「高雄」の同型艦(ポータクセット級)


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