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幕末諸々備忘録 その六の二 『宮古湾海戦・回天丸(SMS Danzig 1851)』


「幕末諸々備忘録」として、旧住所ブログからいくつかエントリをサルベージしておきたくなり、その六の二。

(2019/5/22)

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函館市中央図書館デジタル資料館・徳川方軍艦回天丸ノ残骸


宮古湾海戦といえば、「甲鉄VS.回天」である。

もちろん、単艦殴り込んだ回天に対し、官軍側は東郷平八郎の乗艦していた春日丸とか艦隊を組んでたわけだが、やはり「甲鉄VS.回天」である。

で、甲鉄については東と改称して明治期まで残存していたから、写真も残っているし、日本に売却される前のアメリカでの画像が多く残っている。

が、回天のほうはというと確実に回天だという写真は箱館戦争後の全焼して骨組みだけになった↑のものだけで、ウィキペディアにも図版がある回天としてよくでてくる画は「想像図」レベルといえ、初出は昭和7年の『回天艦長甲賀源吾伝』なのだろうか。

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日本人が記録しただろう画としては、函館市中央図書館所蔵の ↑ が、いつ描かれたものなのかとか情報がないのであれだが、実際に実物を見て描いたのでなかろうか?とバウスプリットあたりの描きこみをみると思わなくもない。

『遊撃隊起終並南蝦夷戦争記 附記艦船之図』という折帖で、著者の玉置弥五左衛門さんは箱館戦争に参加した遊撃隊の隊士のようだから、画の情報の信憑性は高いのでは??

回天の最初の艦名はダンツィヒ号で、その艦名「SMS Danzig (1851)」で検索するといくつか絵画と図面がヒットして、↑ の画と大きくくい違ってはいないようにみえるのだ。

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榎本艦隊に帯同していた『ラストサムライ』〔2003〕のモデルというブリュネの残したスケッチ(1868/12/4)↑ は、暴風雨でマストがへし折れたあとの回天の状態をかなり正確に写しているのでないか。

↓からDLできるPDFがとてもよい。

幕末最強の軍艦 開陽丸と塩竈

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(2019/6/19)

回天丸について、しつこくニワカがぐぐるぐるしていたところFB(NPO “箱館写真”の会)で驚くべき回天のスケッチを発見 ↓

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パリ・バンセンヌ軍事博物館所蔵だそうである。
描かれたのは1869/2/16だそうで、ものすごく正確な描写だと思う。
ブリュネよりうまい!

そして、同じくFB(古ラボ函館)から、回天の「写真」! ↓

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これも初めて見た。
完膚なきまでの残骸とはいえ、凄い。

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