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ドン・キホーテを殺した男@TOHOシネマズ 流山おおたかの森

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鑑賞しての知見は、概念として「ドン・キホーテ=全中男」という確信であった。

一部のツイッター地方でしか共有できない概念とはいえ、なるほどそう解釈すれば、ラ・マンチャの男の悲喜劇性に大きく首肯でき、合点がいくというものである。

風車に突撃することと、全裸で絶叫することは、まさしく「同義」なのだ。
(よって、某忍者先生はドン・キホーテを漫画化すべきなのでは……)


それはともかくギリアム先生の『テリー・ギリアムのドン・キホーテ』〔2018〕は、予想通りの『8 1/2』〔1963〕で、ボグダノヴィッチがオーソン・ウェルズへのインタビュー本で、「マストロヤンニが自分には映画監督にみえない」と不満をもらしていたのとまさしく「同義」で、おれもアダム・ドライバーが映画(CM?)監督にみえなかった。

ウェルズは「フェリーニはああいう風に見られたいということでは?」と回答していたが、ギリアム先生もけっこうそうなのかしら。

‥‥‥
ピーター・ボグダノヴィッチ 
『8 1/2』がフェリーニ自身の主演だったらよかったのにとは思われませんか? わたしにはどうしてもマルチェロ・マストロヤンニでは映画監督に見えないのです。

オーソン・ウェルズ ああ、だがフェリーニ自身は、ああいう風に見られたがっているということではないか。いろいろ素晴らしいところのある映画だよ。
‥‥‥

(ところでアダム・ドライバーは、ピート・タウンゼントとならんで、自分が織田信長を演じてほしい2大現存人物である(鼻)。
人種の違いなどは、ポリコレの今日、どうでもいいはずである!(?))


プロットもそれしかないというか、予想通りだったが、やはりラストに第何十代目かのドン・キホーテが襲名されたシークェンスにはさめざめと泣いてしまった。

おしむらくはギリアム先生の化石のような(ドン・キホーテのような?)ジェンダー感で、アンジェリカ(ジョアナ・リベイロ)の役の性別はオチからしてもいっそ逆であるべきでは……LGBTへの批評(?)としても……


「ドン・キホーテ」の映画化は、パプストの1933年の作品が有名で、言うまでもなく「ドン・キホーテ」という企画はウェルズのせいで「呪われた映画」の括りでもあったわけで、ハワード・ホークスもケーリー・グラント主演で構想していたらしい。
ゴダールの『新ドイツ零年』とか……



DON QUIJOTE 1933 de Georg Wilhelm Pabst con Brigitte Helm, Pierre Blanchar, Tela Tchai by Refasi

↑ パプストの『ドン・キホーテ』〔1933〕



Orson Welles - Don Quixote ENG Full Movie

↑ ウェルズの『ドン・キホーテ』。現存フッテージの寄せ集め


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