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幕末諸々備忘録 その六の一 『宮古湾海戦・甲鉄(CSS Stonewall)』


「幕末諸々備忘録」として、旧住所ブログからいくつかエントリをサルベージしておきたくなり、その六の一。

(2019/4/13)

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宮古湾海戦は、司馬遼先生の『燃えよ剣』にも当然出てきて、その描写は『回天艦長甲賀源吾伝 附・函館戦記』をかなりそのまんま引用しているのだなと、国立国会図書館デジタルコレクションからDLしたのを超ざっくり読んでいて思った。

決定的な違いは、『回天艦長甲賀源吾伝』には蝦夷共和国陸軍奉行並の土方歳三が、この海戦でなんらかの役割をはたしたという記述が全然見当たらないことで、『燃えよ剣』では土方が官軍の装甲艦「甲鉄」の奪取計画を立案したように描かれていることからして、つまり司馬遼先生が「やらかしてる!」となった。


それはともかく、宮古湾海戦での注目は甲鉄にガトリング砲が搭載されていたのか?、そして実際使用されたのか?どうかなのだ。

『回天艦長甲賀源吾伝』には

‥‥‥敵はガツトリング、ゴンと称し野戦速射砲の如く、車台に六竅(きょう)砲を載せ、筒尻の機械を運転し、ニール銃弾二倍大の弾丸を一分間に百八十発を発射する優力なる砲を発する故、乗り移る者は打ちすくめられ、‥‥‥大勢斃されたり‥‥‥

とあり、搭載していたのなら使ったのでは?という感じである。

6バレルということからこのガトリング砲は一番最初のモデルの1862年型では?と推測するのだが、その使用弾薬は当時の主力小銃と共通の58口径とかのはずで、それを『回天艦長甲賀源吾伝』では「ニール銃弾二倍大」と解説している。

はて、ニール銃弾とは一体‥‥‥?

『燃えよ剣』でも、

 これは六つの砲口をもつ砲で、砲尾の機械を運転すると、ニール銃弾のちょうど二倍の大きさの小砲弾が、一分間に百八十発も飛び出すというものであった。‥‥‥

とそのまんま引き写している。

ニール銃弾とは何なのかがわからず(22口径弾?)、ぐぐってもなにやらわからず、わからない。

仮にニール銃弾というのを当時の標準的な小銃弾を指しているとすると、その2倍の大きさのブレットは1インチ弾ということになる。

1インチ6バレルのガトリング砲も存在するみたいだが、米政府が1インチ口径(と50口径)を発注したのが1866年らしく、甲鉄に搭載されたとして時間的に?間に合ったのかどうかなのだ。


気になると気になるのでうだうだ検索していると、『回天艦長甲賀源吾伝』の宮古湾海戦の描写にはさらに元ネタがあり、それが小杉雅之進の『麦叢録(ばくそうろく)』で、またしてもめっちゃ頼りになる国立国会図書館デジタルコレクションからDLして宮古湾海戦のくだりを超ざっくり読んでみたところ、『回天艦長甲賀源吾伝』で「ニール銃弾」と書かれていた箇所には


‥‥‥敵「ガットリングゴン」野戦砲ノ如キ車台ニ乗シ六竅砲ニシテ筒ノ許ニ捻廻シノ如キモノ付是を回転スルニ従テ弾発ノ大サ「ミニール」ノ二倍位一分時間ニ百八十発ヲ打ト云‥‥‥‥‥‥


と読め、どうも「ニール銃弾」でなく「ミニール銃弾」なのでは?
『回天艦長甲賀源吾伝』の著者が引用の際、「ミ」を抜かしてしまったのでないか。

もっともミニール銃弾というのもなんだかわからないが、これはひょっとして「ミニエー弾(58口径)」のことなのでは???と推測できないだろうか?(当時、ミニエール銃という呼称もあるので、それが縮まった?)

だとすると、甲鉄に搭載されていたというガトリング砲は1インチ口径のもの‥‥‥?

米政府から1866年に発注されたが、その設計は1865年製と一緒なので1865年型と括られるようで、それが甲鉄に‥‥‥?

たしかに艦載砲なのだから口径はより大きいほうが理に適っているのだ‥‥‥


と、いうようなことをぐぐるぐるしていたところ、以上の考察はとっくに『武器と防具 幕末編』(新紀元社}という書物の「ガトリング機関砲」の章で詳細に解説されていたことがわかった。

自分も図書館で借りて、なんとはなしにスキャンしていたものをHDDから発見し、灯台下暗し!となったのだった(完!)。


 アメリカ軍が公式にガトリング機関砲を採用したのは1866年である。‥‥‥それ以前、リムファイアー式のM1862(.58口径RF口径)は13門、M1865(1インチRF口径)は12門が製造されており、アメリカ軍の正式採用に伴って不用となったこれらの非制式型ガトリング機関砲が、日本へもたらされたものと思われる。‥‥‥(95ページ)

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↓ 関連エントリ


M1862 Gatling Gun - YouTube



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