2024/1/19

 昨日、チバユウスケ献花の会に行ってきました。

たまたま仲の良いバンドマン、Dr.Venusのホウカクが一緒の時間だったので、1人で行くのはどうなってしまうかわからなかったこと、終わったあと献杯できる友達が居てくれるとありがたい、という理由で現地集合して寒空になったお台場の列に並んだ。

会場に入って、sixteen candlesを聴いて、あぁ本当に来てしまったのか、と。
展示されたチバさんの写真を見ながら、実感湧くような湧かないような、爆音のバードメンを聴きながら。

 あの時ミッシェルに出会ってなかったらBeekを組んで無かったし、多分私は高2でベースを諦めてた。
初めてルーシーをコピーして、チバさんを愛する仲間に出会えた。その縁でバンドサークルに入って大好きな友達が出来た。

そこでできた友達とは今バンドぐるみで仲良くしてる奴や、誕生日は必ずお互いプレゼントを送り合うような友達や、近況を何気なく連絡するような先輩がいる、

卒業してから暫く、迷走する時期もあったが、チバさんを愛する人が手を引いてくれて今の相方に出会えて、やりたい音楽、自分のやるべき音楽が見えてきて、また走り出せた。

献花したとき思い浮かんだのはチバさんが歌っている姿でもステージに立っている姿でもなく、その時々チバさんの音楽と共に生かされてきた私の人生とチバさんを愛する仲間たちだった。

あの時もこの時もチバさんの音楽がそこにあって、多分これからもそう。

献花が終わったあと、ムツキの紹介でロックバーに行ったらチバさんが大好きな人たちが沢山集まっていた。知らないお姉さんと抱き合った時初めて子供みたいに「やだよー!居なくならないでよ」っていう言葉が出た。背中をさすってもらった。

チバさんが残してくれた友達が沢山いても、誰がいても、音楽があっても、チバさんのライブをもう見れないのはやはり寂しいんだと思った。

 一夜明けて、今やっと実感が湧いて来た。
今日この後はチバさんに出会って組むことができたBeekのメンバーに会う。
何から話せばいいか分からないけど、ちゃんとありがとう、これからもよろしくという気持ちは言っておこうと思う。

 小学生の頃、父が大好きな忌野清志郎が亡くなった。その時のお父さんは初めて見るくらい憔悴してて、当時川の字で眠っていた布団に寝転がって「あぁ、清志郎死んじゃったのか、そっか」と何度も何度も繰り返していたことを思い出した。

そんな父からチバさんの訃報を知った時「音楽は残るよ」と何度も言われた。実家に帰った時も、LINEでも。

多分、父の中で清志郎の音楽は流れ続けているのだと思う。あれからも、これからも。

多分私にとってのチバはそうなっていくのだと思った。

チバさんはもう居ないってことはない、ずっとチバさんの音楽はある。

チバさんにお別れは言わないことにした、これからもチバさんの音楽が私を突き動かしてくれる。