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THE ROAD FOR SHOGO~浜田省吾への道 Vol.3田家秀樹その5

浜田省吾の魅力を、浜田省吾を取り巻くさまざまな人たちと浜田さんとのエピソードトークから紐解く特別企画。8月のインタビューゲストは、浜田省吾の“はじまり”から“いま”に至るまで、すべてをルポルタージュしてきた音楽ライター・作家の田家秀樹さん。最終回は、ON THE ROAD2015から今に至るまで。浜田省吾を浜田省吾たらしめている“時代性”について
インタビュー:屋形英貴(広島FM)


世の中が決していい方向に行ってない、 でも音楽はずっとそういうことに対してキチンとしたモノを言ってきてるんだっていう。

―2015年のツアーはいかがでしたか?
 
田家
それまでのライブで、1番メッセージ性の強い曲って、「僕と彼女と週末に」だったんですよ。でも、あの、ON THE ROAD2015は、(アルバム) Journey of a Songwriterがありましたから、あの中の、「アジアの風 青空 祈り」の3部作で(塗り替えましたね)。

まぁ、戦後70年だから書いた曲で、 浜田さんは「これはシリアスすぎるからアルバムの中から外そうって」言ってた。でも、(鈴木)幹治さん、 岩熊さん、高橋さんはじめ(まわりのスタッフが)、「でも、やっぱりこれを入れないと、浜田省吾じゃないんじゃないか」っていうことで、アルバムの中に入れて。
で、ツアーでも、あの曲が、まあ、1番こう、重要な、心臓のような曲になってて、 で、特に、映像がありましたからね。まあ、あの時は、戦後70年という、こう、1つの節目っていう意味での、 アジアと戦争という大きなテーマがあって。で、あのツアーの意味が、2022年に、こう、改めて思い出させられた。

あの映像の中に、銃を構えてる兵隊がいて、それで、2人が結ばれようとすると、白い馬が 打たれるっていう、シーンがあって。去年2月からのウクライナへの侵攻が、やっぱりあれを思い浮かべさせましたからね。
あ、これが現実に起きてるんだっていうことで、改めてあのツアーの、映像とか アルバムを聴くと、その浜田さんの歌の持ってる時代性が、まあ、彼はずっと言ってきてますけども、「僕の歌が警鐘だったとか予言だったみたいに言われることは決して嬉しいことじゃないんですよ」って。でも、それがやっぱり現実になっちゃってますから。

世の中が決していい方向に行ってない、 でも音楽はずっとそういうことに対してキチンとしたモノを言ってきてるんだっていう。 1番良い例になったのが、あのJourney of a SongwriterとON THE ROAD2015、2016だったと思うんですね。


ギターをこうやって掲げた時のね、あのシルエット、あれは様式美ですよ。歌舞伎だと思ったもん。


去年のツアーで言うとですね、これはもう生涯の心残りになるだろうなと思ったのが、去年の広島に行けなかったこと。 オールエリアっていうシンコーミュージックの雑誌があって、それであのツアーをレポートすることになってたんです。
気温の変化とかいろんなことがあって、思ってた以上に僕の方がですね、対応できなくて。で、広島の1週間前にね、体調崩して、救急車で運ばれちゃったんですよ
 
―そうなんですか。
 
田家
広島だけは行こうと思ってた矢先にそうなっちゃって、行けなかったです。で、聞いたら、 「良かったよ」っていうんで、涙を飲みましたね。それで、あの年明けの、今年の、東京と大阪だけは 何があっても行くんだっていうことで行きましたけど。(あのライブから)声出しが解禁になったんですよ。最後の大阪、素晴らしかったですね。あれは、今までの過去のライブよりも、浜田省吾らしかったですね。何が、らしかったかって言うと、 弾けてた。こんなに弾けるんですか。っていうような叫び方してましたからね。絶叫してました。
 
―そんなお話をお伺いさせていただいたところで、最後の1曲は
 
田家
「終わりなき疾走」。
ギターをね、ギターをこうやって掲げた時のね、あのシルエット、あれは様式美ですよ。歌舞伎だと思ったもん。
でも「ハマダー」って、声がかかったんですよ。「うわ、声がかかった」。ホント嬉しかったですよ。
 
 


THE ROAD FOR SHOGO~浜田省吾への道は、広島FM「#PUSH」で、毎週水曜日、15時10分頃から放送中。9月に登場するのは、ツアーでバックコーラスを務め、浜田さん自身がプロデュースもされているシンガーソングライター、中嶋ユキノさんにお話を伺います!

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