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THE ROAD FOR SHOGO~浜田省吾への道 Vol.6 大山賢一 その3

浜田省吾の魅力を、浜田省吾を取り巻くさまざまな人たちと浜田さんとのエピソードトークから紐解く特別企画。11月のインタビューゲストは、先月の岩熊信彦さんたちが考えたライブツアーを、各地方で“カタチ”にするイベンターのひとつ、広島を含む中国・関西エリアのイベンター、夢番地の大山賢一さんです。
3回目の今日は、1999年に庄原・備北丘陵公園で行われた野外ライブについて。
インタビュー:屋形英貴(広島FM)


大山
私、夢番地の大阪オフィスに入社したのは、97年で、 当時は、もちろん、担当ではなかったんですけど、あの、1999年の8月に、備北丘陵公園で、庄原の、野外のコンサートやったじゃないですか。備北丘陵公園で、音楽のコンサートを、大型コンサートをやったのは、おそらく、浜田さんが1番最初で。
(当時、私は)大阪の夢番地でスタッフとしてやってて、浜田さんの担当じゃなかったんですけど、まあ、初めて、そういう大掛かりなコンサートだから、手伝いに来て欲しいみたいなのがあって。で、 庄原って、当時、そんなにあの、ホテルがなくて。
 
―いまでも、そんなに無いとは思いますが。
 
大山
広島からって、やっぱ距離があるじゃないですか。で、浜田さんとか ミュージシャンとかって、実は三次に泊まってたんですよ。あの三次のホテル、おそらく借り切ったかなんかして。で、その、三次の僕、担当だったんですよ。
で、あのホテルのホスピタリティをちゃんと整えるとか、三次に、リゾートホテルとか、その、シティホテルがなくて、多分、ビジネスホテルみたいな感じばっかりだったっていう記憶してるんですね。で、 ただ、まあミュージシャンの方も泊めなきゃいけないから、ある程度ちゃんとセキュリティもしなきゃいけないし、ルームサービスとかもなかったんで。
あの、フロアに、僕はやってたのは、クーラーボックスを廊下のとこに置いて、いろんなドリンクを用意したりとか、あと、ミュージシャンの皆さんとかが、どっか食事に行きたいみたいな可能性があったから、 三次で、食事場所のことなんて何も知らない僕が、 ずっと1日とか2日かけて、いろんな、夜遅くまでやってるお店とか、居酒屋さんとか、食事できる場所を、ガーっと探したりとかで。
おそらく、多分間違ってないと思うんですけど、打ち上げを、三次でやったはずなんですよ。場所がちょっと覚えてないんですけど。 それで、コンサート会場に行った時間って、実はホントに少なくて。あの、皆さんが出発されて 戻ってくるまでの準備をしてて、一瞬、会場に行って、で、本番を少し見て、また先に戻ってる、みたいな、そういう、まあ、役割だったんですけど。
ただ、その、野外の コンサートで、2万人以上のコンサートのお客さんが入ってらっしゃると思うんですけど、そういう風景を、その、見た時ってのは、そりゃ、感慨深かったですね。
 
ーライブのスタッフではあったんですけど、ホントにライブを見たのは、瞬間。
 
大山
もう、ホントにちょっとだったと思います。
 
ーその瞬間のイメージの中で。
 
大山
覚えてる曲は、ハイ、あの、「青空のゆくえ」って曲があると思うんですけど。
(個人的な話になりますが)僕は、大学に、元々あんまり行けてなかったんですが、(夢番地に就職決まってから)まあ、卒業しなさいって(夢番地から)言われたんで、大学4年生の時に、毎朝、始発で、 広島から(広島大学)西条のキャンパスまで、ずっと電車で通ってて。
(当時)帰り道で1番聞いたのが、「青空の扉」だったんですよ。あのアルバム、その時の曲がすごく、やっぱりいろんな思い出があって。
で、それを、ちょうどその備北丘陵公園でしていただいた時っていうのは、すごくやっぱ感動的だったなっていう、ま、個人的なエピソードですけど、それは忘れられないなって感じでした。
夢番地にまだ入ったばっかりで、ようやく浜田さんのコンサートに初めて(関わったのが)99年だったんですけど、そこで聞いた、その曲っていうのはすごく忘れられないし、すごくイイ風景だったという風に記憶してます。

 
 
THE ROAD FOR SHOGO~浜田省吾への道は、広島FM「#PUSH」で、毎週水曜日、15時10分頃から放送中。11月に登場するのは、浜田省吾のライブを各エリアで支えるイベンター、夢番地の大山賢一さんです。広島や、中国・関西エリアでの浜田さんのライブを、現場スタッフとして支えてきた大山さんの目線から見た浜田さんの姿をお伝えします。(※大山さんのインタビューは11月8日、15日、22日、29日の計4回放送)

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