平和

暑いです。うだるような暑さではありますが冷たいものが欲しくなる季節ともいえます。が、あまり冷たいものはガブガブ飲むと身体の中の温度が下がります。体表面の温度を下げる方が効果的です。身体内部の温度は保ち冷やすべきところを冷やして体温の調節をしたほうがいいです。太い血管のあるところに冷たいものをあてがって体温を冷やすなど。日本人は特に冷えたものを好んで摂取するとのこともあります。冷えは万病のもととも言われますので、そのへんは自分との相談です。また暑いのに水をガブガブ飲むと、その分発汗しますのであんまり摂取する意味がなくなります。ちょっとずつ飲むようにした方が賢明かつ水の節約になります。

こんな日は家で無観客のオリンピック会場と競技をテレビで見ながら酒でも呑みましょう。

ここでは、社会に役立てるよう、伝統武術を以ってして、伝統武術の生き遺り、自らの生き残り、社会に淘汰されない、法治国家での振る舞い、言語/非言語コミュニケーションである武術を用いた話をしたいと思います。
必要な方に、必要とされる事が幸いです。

武術が光るような書き方をしますが、平和とはなんでしょうか。平和な世の中がかつてあったでしょうか。正解なんてわかりませんし、誰も現代人はその世界にいたわけではありません。だから誰も知らないわけです。知るはずもないです。が、現代は平和だとよく言われます。本当でしょうか。

確かに平均的に寿命は伸びて長生きする方も多く見られます。長生きリスクと言われるほど長生きする方がたくさん健在します。いいことか悪いことかは知ったことではないのですが、それだけ生き延びることができたと言うことを立証できているわけです。

では平和とはなんなのでしょうか。戦争のない世界、子供が苦しまない世界、みんなが平等な世界、、、果たしてそんなことができているでしょうか?その方にとって平和ならそれでいいのですが、大きく見ると大昔からは人間がコミュニケーションをとって生きるその様は、そんなに変わってないように思います。生活やシステムが変わってるだけで人間社会はおんなじように築かれています。

話が壮大なので小さくすると、周りは安全でしょうか?外に出ると車が走っっています。鉄の塊がものすごいスピードで真横をすり抜けていきます。当たれば死ぬか死にかけますが、そんなことは誰も気にしません。ちなみにこれはなぜか?

ルールがあるからです。社会にはルールがないと社会にはなり得ません。

他にもたくさんありますが例として上記のことを書きました。

要するに権力や法や決め事が社会で生きやすいようにできてるのであります。個人的にどれだけ強かろうと弱かろうと関係ありません。どうでもいいのです。、、、これはまた別の話で書きたいと思います。今回は少し技術的な方に焦点を向けます。

平和とは言うもののなことは身近ではたくさんあります。武術は自分を生きながらえさせる技術でもあります。車もそうですが、一瞬でも道路から外れて走行して当たれば凶器です。自転車やランニング中の人に当たるだけでも被害を受けます。ネットでも誹謗中傷でとにかく攻撃するようなこともあります、現に自分からではありますが人は死んでいます。煽り運転やら、いじめや仕事上でのストレス、ちょっとしたいざこざ、子が親を殺す、妻もしくは夫が愛を誓ったにもかかわらず殺す、建設中の建物からものが落ちて死ぬ、、、とかあげればキリないですが、別に平和だと行っても人はなんらかの理由で死んでいるわけです。最近のコロ助でもそうです。

要するに危険と安全はおんなじものです。どっちか一方なんてことはあり得ません。別に暴力的にしなくても人は簡単に殺せますし、死ぬわけです。社会として人一人死のうがそれで経済や社会が止まるわけではありません。悲しかろうが、辛かろうが社会や大きいものにとってどうでもいいわけです。いちいちそんなことに関して時間は取れるはずがないのです。今この時間で何らかの理由で死んだ人を検索してああ、悲しいお悔やみを、、、なんて言えるでしょうか?どんなに聖人君子でもそんなことはしないでしょう。だって自分の生活がありますので。口で喋るのは何とでもいえます。いい意味でも悪い意味でも何とでもいえます。真実しか言わないのなら、なぜ愛する夫婦同士で喧嘩するのでしょうか、ともいえます。結果それならそうゆうことです。人の死こそが悲しい、ならそうならないように何かをして何かを食い止められたのでしょうか?何にもしてないならただ悲しんでいる人、です。聞こえはいいですが、何にも生まれておりません。祈ったって何か変わるわけではないのです。

要するに、自分の身は自分でどうにかすることが大事だと言うことです。会社やの誰かや法や自分以外の誰かが自分の命を守れるでしょうか。

なので自分に生きやすく都合の良いように、自分でそうなるように、そうしていく必要があるわけです。何にもしてないのに自分の都合のいいように人や何かが動くと思ってたらとんでもない目に遭うわけです。

安全だろうから大丈夫、自分にはそんなことない、今が楽しいから未来はどうでもいい、などのことはたまたまです。今日生きてたら次の日死ぬこともあるわけです。生き延びたことを大事にした方がいいと思います。

武術的にはとかくその辺を警戒します。確証なんてないので自分で理解して自分で判断しないと安全かどうかなんて全くわかりません。まずは情報で、情報を分析して、その知識を知恵として使えるのが人間です。武術的なことと言えます。だから自分の不利になりたくないから、が武術とも言えます。

他人や他に自分のことをどうにもさせないわけです。某アニメ的に生殺与奪の剣を他人に握らせるな、もとい自分以外に自分であるのは自分でしかないのです。

と言うことで意外に長くなってしまいましたが、見る人もあんまりいないでしょうから、自分のアウトプットの場にもなっている感もあります。

見ようが見まいがどうでもいいですが、必要とする人が、必要として何かを思うことの助けになれたらそれでいいです。

以上です。

それでは。




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