こんばんは

昨日は初投稿ということもあり、なにぶん不慣れで硬い文章ではあったものの誰かのどこかに何かしら届いたのではないかなと、未熟者ながらそう感じています。根拠なき自信も時には重要であります。

この武術をいかに社会的に日常に浸透し役立たせるか、というところですが、そこを含めてこちらでちょくちょく書いていくつもりです。

まず武術と格闘技の違いについてです。何かと混同されやすい両者ですが、「全く」違います。昨日お伝えした通り、武術とはコミュニケーションでもあります。その辺は「孫子」を読んでもわかるのですが、必ず段階があります。要はいきなり同じ間合いで戦闘状態ではい、やりますか、というのはないのです。

女性を男性が口説くとします。いきなり好きだから付き合ってくれとなるでしょうか?かなりマッチしないと非常に難しいと思いますが、まさにこれです。過程は極意とも言えましょう。武術も同じだし、何にでも言えると思いますが、これは間合いと同じとも言えます。いきなり殴り合うような間合いにはいきなりなりません。それは、試合形式であるからそうなるわけですので、武術はそれはありません。日常、社会に根付くものと称しておりますのもこう言ったことです。武術に組んだり試合形式で力を試するような概念は存在しません。武術はテロであると申しましたのはこれに当たりますが、その辺は後ほど。

間合いとは、どれだけ離れていようが自分が認識した時点で「間合い」です。認識していないと間合いは発生せず、何にも起こりません。当然ですなのですが、当然じゃないように捉えられています。これを武術では詰めていくわけですが、これは何にでも同じで、上記の女性と男性の距離を縮めるのも同じことだと言えます。いきなり、急にということはないわけです。

テロはどうなんだ、と思うかもしれませんが、それはまた今回とは少し違います。

物理的な距離だけではなく、生理的な距離も同じと言えます。故にただ殴る蹴るがそれではなく、格闘技のように試合を前提としたものではありません。格闘技はもう一つ言いますと、第三者や、観客がいないと構成できません。そういうものです。ただ喧嘩で使うのであれば、それは暴力で人の役には立ちませんし、被害が拡散します。発起人だけが捕まるのならいいのですが、二次被害が怒る可能性も非常に高いです。それでもいいのなら勝手にすればいいのですが。

本日強調するのは武術と格闘技の違いです。シンプルに言えば間合いが違うでもいいのですが。ラウンドのように長く時間をかけるというのも一切ありません。孫子でいう「兵は拙速を尊ぶ」「巧久は未だ見たことがない」でしょうか。相手のを陽とみてこちらが影となる、かつ安全に、です。

ということで今回はこのあたりで終わります。またこの手のことについて書きたいと思います。

毎度のことですが、必要とされる人に必要とされれば幸いです。誰か知らないけれど、誰かの心や、思いや行動などに、何かに何かを与えられたらと思います。

ではまた。

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