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親と私

閑話休題、今回は親が病気の私とどう関わってきたか、の話をしようと思います。

少し家族背景についてお話します。
私は母親がとても苦手、父親はちょっと苦手です。
理由は様々ありまして、先ず我が家が大家族だった事が原因の一つです。
私が2歳になった頃にはすでに双子の妹が産まれており、私の面倒を見てくれたのはその頃からずっと祖母と祖父でした。
父親は典型的な亭主関白タイプ、母親もかなり気が強い性格だったので私が小学校に上がる頃合いには毎晩喧嘩の声が絶えず、妹達と震えながら顛末を見守っている事しか出来ませんでした。
殴り合いの喧嘩もしょっちゅうで、母が骨折して病院に行ったり、流血沙汰になるのも珍しくありませんでした。
母に怒られる時は二階のベランダから吊るされたり家から追い出されて鍵をかけられたり、「お前なんか産まなきゃよかった」と言われながら布団にぐるぐる巻きにされたりなど、今思い出しても母と何かでかけたとかいう思い出よりは怒られた記憶のほうが強く思い出されます。まあ、昔のことなんでこちらのフィルタかかってる気はしますが。

そんなわけで、父も母も私にしては怖い存在であるという認識しかなく、会話らしい会話もした覚えはたいしてありません。
しかも、私が小学校に上がる頃合いに母親は新興宗教にはまり、現在もバリバリ現役の信者です。
本を読まされたり毎日経文あげにつきあわされたり、家では常に大先生の講義のテープがエンドレスリピート、何度も無理やり施設に連れて行かれたりなどなど…
私にエリート信者になってほしかった様ですが、母親の思惑とは逆にどんどんやさぐれていきました。
今でも覚えてるのですが、小学生2、3年の頃でしょうか。
本当に宗教が嫌で嫌で仕方なく、気付いたら部屋に山積みの大先生がでかでかと載っている冊子にライターで火をつけていました。
ぼや以下の騒ぎで済んだのですが、あの頃は色々とどうかしていました。

父親も最初はずっと反対していたのですが、いつの間にか入信しており、たのしい宗教一家へと変貌を遂げていました。
とまあ、こんな親なもんで今でもあまり関わりたくないし、実両親が苦手という話は義実家は知っていた上で受け入れてもらっています。

がんが発覚して最初の入院時、両親には何も知らせず退院後に実はがんだった、とLINEで伝えました。
すると直ぐに自宅へ両親が訪れ、宗教出版社ご謹製の本や蜂蜜、マルチ商法でお見かけするドリンク、トルマリンがびっちりの温熱パッドなどをドヤドヤと持ってきて、お前が心配だ、抗がん剤治療はしないほうがいいと滔々と語られました。
その後も2日に1回くらいのペースでお弁当を作って持ってきたり、家の片付けをするという名目でやってきてはペタペタとオイルを塗ったくってマッサージをしたりなど、親いわく「小さい頃お前に何もしてやれなかったから、してやりたいんだ」と。
しまいにゃ宗教のお友達がやっているというオステオパシーの治療院に連れて行かれ、パパーッと触ってるんだか触ってないんだかの手かざしをされた挙げ句先生から「なんで抗がん剤なんてやったんだ、馬鹿じゃないのか」と苦痛しかない時間を過ごしたり。
「楽になったでしょ」って何度も聞いてくるから「はい…」と死んだ目で答える私。
愛撫下手な男かよ、気持ちいい?気持ちいい?って何回も聞いてくるアレ。
これは相手の好意だし、やらせておかないともっとひどいことになりそうなのが嫌で最初はされるがままにされていました。
家に来るたびに抗がん剤は毒だからやめなさいと語られるので、いよいよ精神的にぐったりと疲弊してしまった私を見た旦那氏が、実家へ直談判へ。
うちの両親そこまで頭よくないので、旦那氏の正論パンチには勝てず、しばらくは様子を見ますという確約を得たので一旦平穏な日々が訪れました。

しかし、それで終わらなかったのです。

2度めの入院が決まり、一応両親にまた手術をする事とかなり疲れるし、出来ればしばらく来訪を控えてほしい旨伝えました。
それで終わると思った私が甘かったのです。
手術終了2日後、なんの連絡もなく母親がやってきました。
次の日は父親、といった具合でほぼ毎日両親が訪れ、食べ物を置いていったり足をマッサージしていったり私からすると人が動けないのをいいことに好き勝手にやっとんなという印象しか感じないお見舞いをおみまいされました。
少し来訪を控えてほしい、もし来たいと思ったなら事前に伝えてほしい、という話を私と旦那から伝え、これでなんとなく落ち着くのかなあと思った次の日だったでしょうか。
トイレから戻ってとぼとぼと歩き、病室前で顔を上げた私の目の前には、母が立っていました。

なんで?どうして?やめて、って何度も言ったのにどうして?

ゾワゾワと鳥肌が立ち、移動点滴のスタンドに手をついて呆然としていた私に、母が病室に入るように促してようやくベッドへ。
その日は私からは何も話さず、母の目を一瞬も見ることができませんでした。



ざっくりと両親からうけた仕打(あえて強い言葉を使います)はこんな感じです。
もっと細かい所色々あるんですが、「貴方のため」という名目で行われる事の一つのケースとして捉えていただければ。
「貴方のことを思ってるんだ」という言葉がくっつけば、なんでもしていいわけじゃないんですよ。


余談。
病気である事を伝えてから母から言われた一番衝撃的な言葉は
「あなたはこういう治療法嫌かもしれないけど、お母さんは好きなんだ、だからね、してあげたいの」
母親は、私の気持ちなど知ったこっちゃ無いようです。

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