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久しぶりに暇ではないのに「暇すぎて何もすることが無い」と言う感覚に陥ったので文章を書くことにした。
全くどんな文章を書こうか決めてもないし、決める気もない。しかし、なぜか文章を書きたい気分になった。それも久々に本を真面目に読んだからである。

どんな本を読んだかと言うと、暇と退屈の倫理学というその名の通り、暇や退屈に関する本だ。なぜ読み始めたかというと、フリーで働くという性質上「忙しくはあるが暇」という感覚に襲われることが多々あり、この現象をどうにかする糸口は無いものかと感じていたからだ。

結論、暇と退屈は人間である限り日頃から付き纏い、どうすることも出来ない存在であることだ。それは自分自身気づいていた事かもしれない。最近は意図的にではなく、暇することが嫌だと言わんばかりに何かしらの予定を詰め込んでいた。それに関して少しばかり危機感を覚えていた。自分は基本的に感覚を第一に優先するタイプで何か違う、もっと〜などを感覚で読み取り、次の行動に活かしていく。

その感覚に今回の予定を詰め込むといった生活が引っかかった。なぜ引っかかったのだろうか。こういった感覚を言語化するのはとても労力を使うし、難しい。しかし、言語化することによってのみ対処できる事例となりうる。今回は何も考えず、とにかく書くことによって最終的なアウトプット、更には今自分が置かれている環境について何か発見できればいいと思う。

なぜ予定を詰め込む生活が良く無いのか、本を読んだ今の頭では、昔の人類は遊動生活を送っており、定住を始めてから現代に至るまでの人間は人間としての能力を十分に発揮できておらず、どう足掻いても能力を持て余すという事が分かっている。要するに人間は退屈が根本的に嫌いだからと理解することができる。

しかし、それとは真逆のことを薄々感覚で理解していた。暇という時間はクリエイティブを行う上で大事な時間だと。この空白の時間があるからこそ、高度なインプットが行えるし、アウトプットが行える。この空白の時間に面してこそ自分と向き合うことが出来るし、自分が作った作品に対しても向き合うことができる。
要するにこの時間に何をするかで今後の動き方、考え方が変わってくる。

自分が作り出す作品は自分そのものだ。その作品を見れば作品に関わっている人が少なければ少ないほど、作っている人の本性が現れる。特に音楽はいい例だろう。個人で制作しているラッパーなどは特に分かりやすく現れる。普段どんな考え方で日常を過ごし、どんな態度で音楽に向き合っているのか。それが顕著に作品に現れる。もちろん業務的な制作をしている人もいるだろう。それも聞けば、見ればわかる。

僕はそれを自分の作るものに対してではなく、自分の生活に対して負のオーラを感じてしまった。この生活は本当に良いものを作れる生活なのかと。

しかし、この空白の時間を一日無駄に過ごして少しだけわかった事がある。
「この生活は本当に良いものを作れる生活なのか」そう思う事自体ちょっと違うのでは無いだろうかと。映像が好きすぎてフリーでミュージックビデオを作って生きて行くと決めた。しかしその決断が自分を面白くない人間していっているのかもしれない。僕の人生は映像ではない。僕の人生は僕という人間が生きている実際に存在する物体が作り出している。映像しか考えていないことでどんどん面白く無い人間になっていっているのではないか?

もちろん仕事としてやって行く以上お金は稼がなければならない。最低限のお金は稼いでいるつもりだ。ならなぜもっと映像を作る僕ではなく、今この瞬間を生きている僕にとって面白いことをしないのだろうか?

それが僕が作る映像にとっては遠回りかもしれない。最終的には映像に返ってくると頭で分かっていたとしてもどうしても映像の為、という方向で動こうとしてしまう。それを僕の感覚が感じ取って拒否する。拒否した結果何も行動を起こす事ができない。要するに映像クリエイターという枠組みにしっかりとハメ込まれてしまってる。

良い映像を作る人はこんな人だ。そういう幻想にも囚われているのかもしれない。そもそもいい映像ってなんなのだ。僕にとっていい映像は定義されない。とにかく心が少しでも動かされるような映像。それが表面的なかっこよさであろうが、内面的な訴えかけであろうが関係はない。

僕に必要なのは暇から生まれてくる何かをつくりたいと思う心を感じ取ること。きっとそれだけなのだ。それを感じ取り、実際に行動に移す。
実際に行動に移す。またこれが難しい。それ故にその心を感じることを恐れてしまう。人間は日頃の習慣とは違うことは極力したくないものだ。新しいことをするのには決断力という脳のリソースを使う。決断するといった労力はどうやら相当なものらしい。何か考えている間にゲームをするという逃げの決断をしてしまう。

無闇に何でもかんでも答えを出そうとしてはいけない。僕は即断即決タイプだが、それも決断するに際して使うエネルギーを少しでも減らす為にそうしているのかもしれない。しかし、撮影の現場ではそれが役に立つことも多い。だからこれも一長一短である。

だからこそ、暇という時間を感じ取る勇気を持つことが今の僕にとって、いや今後の僕にとっても大事になってくるのではないだろうか。

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