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昨日は空白の1日だった。一日中考え事をし、実務には何も手をつけられていない。

しかし、今日は晴れた気持ちで行動することができている。現に制作をしだす前にこの文章を書き出した。やはり文章を書くということはメンタル的にもアウトプット的にも最適なのかもしれない。文章を書くことと、映像を作ること、それらは制作という視点では同じかもしれないが、やはり全く違う分野なのだろう。文章をいくら書こうが映像制作意欲は無くならない。というよりも脳の別の分野を使っているから、映像を作る際に使われる脳のリソースは使用されずに残るという具合かもしれない。ならば1日を文章を書くといった行為から始めるのはとてもいい習慣になるのかもしれない。この文章を公開するかしないかは気分次第であるが、いずれは公開するために書いていきたいとも思っている。

時間を無駄に使うということについて

時間を無駄に使う。この言葉はとてもネガティブな印象を持つだろう。何も効果的な時間の使い方をせず、消費してしまった。直訳するとこんな感じだろう。

しかし、昨日1日を無駄に過ごしてみて気づいたことがある。それは無駄を使っているのだという事。昨日の僕は時間を無駄に使わされたのではない。能動的に時間を無駄に使ったのだ。それはつまりどういうことか。自分の意思で、時間を無駄にしたいからしたということだ。

こんな事を言っておきながら実際は時間を無駄に使ってやると言った事を考えていたわけではない。結果的にこうなったという事だ。
時間を無駄に使うことは能動的であろうと受動的であろうと自分の心を消費する。やるべきことがあるのに手をつけない。自分は何をしているのだろうか。答えの出ない問いかけを自分にし続ける。これが人間にとってどれほど苦痛なのだろうか。昨日1日で自分は他のディレクターより劣っているのではないか、このまま進んでいっても何も面白くないのではないだろうか。そんな事を考えてしまっていた。

実際これらの答えは何も出ていない。そもそもクリエイティブな物の性質上何が優れていて何が優れていないなどない。それを考えている事自体意味のない事であるが、そんな意味のない悩みが出てきたのにも理由があるだろう。それは日頃考える暇がない(考えないようにしている)から悩まないだけであって日頃から思っている事なのだろうという事。それが暇になって周りの環境ではなく、自己に目を向け出すと顕著に現れる。ただそういうことだ。

だからこそ一度ちゃんとそのような日頃の悩みに向き合ってあげることが大事なのだろう。その行為を怠れば本当に自分の望むクリエイティブを行うことはできないのではないだろうか。


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