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「今」を大事に生きること

「でも、今の私は80歳を超えていて、この先そんなに長く生きる年齢ではない。寿命がすぐそこに見えているという事実が、私を冷静にさせました」

先日、10月28日にご逝去された女優・八千草薫さんの手記に書かれていたという言葉です。(『文藝春秋』2019年8月号)

貼り付けたURLの文春オンラインから読むことができるのでぜひ全文を。

私のこの記事のタイトルにも引用させて頂いている「今」を大事に生きることの難しさについて、この手記の最後に綴られているのがとても印象的でした。

八千草さんの歳になっても、生きる、とは。
そして死とどう向き合い、最期のときを待つのか。
おそらく明確な答えのようなものは持っていなくて、むしろそんなものは意味をなさないということを悟られたのでしょう。

まだ時間はあるし、いつかできるだろう。
なんて言いながら、結局何もしないで後悔するんだろうなぁ・・・。

樹木希林さんが亡くなった時もそうだったけど、何か死に際して感じていることとか考えたこと、その思いを手記でもインタビューでも残してくれたことは、我々人間にとってとても貴重な財産だと思う。

人生最大のテーマといっても過言ではない「死」について考えるとき、決まってまず目の前にある現実と向き合わざるを得ないことが多いかもしれないけれど、多分それはそんなに重要じゃなくて、もっと大きな、自分が人として、人間として、生き物として、自然の一部として。
この地球に生を受けた意味を考えるべきじゃないかなと。

そんな風に考えれば、今こうしてパソコンの画面に向かっていたり、明日また会社に行って仕事したりしている自分ってやっぱり不自然なんだなと思う。

まずは出かけよう。
そしてまだ知らない自分と出会うことで、また新しい人生が始まるんじゃないかなって。
そんなことを考えてたら明日が楽しみになってきた(気がする)。

八千草さん、ご冥福をお祈りいたします。
ありがとうございました。


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