宗が名前につく人に弱い

皆さんは、るろうに剣心というタイトルの作品を見たことがあるだろうか。漫画だったりアニメだったり実写映画だったり、絶対に働きたくないでござるだったりで目にしたことくらいはあると思う。
あらかじめお知らせしておきたいのだけど、これは初めて好きになった人が瀬田宗次郎という漫画の人物であるオタクが27年振りに同じ作品にハマり、令和版アニメを見た後北海道編を見て持て余したパッションをダラダラ書いている日記なので共感性羞恥のある人は早めにブラウザバックでお願いいたします(最近はブラウザバックって言わないか……)

ほんじゃ、お時間がある人はどうぞお付き合いください。


瀬田宗次郎という男はさ

一言でいうとアダルトチルドレン剣客なわけですよ

元々大きな米問屋の妾の息子に生まれて、父母が無くなるまではきっと可愛がって育ててもらってたと思うんですよね。

父はたまにやってくる優しいおじさんで飴とかを買い与えてくれてたんだろうなあ、だから23歳になっても連日はしかぷ餅を食べに行くくらい甘い物が好きなんだと思います。

甘い物を食べていると自分が一番幸せだった時、両親に大切にされていた時を思い出すからじゃないかな。志々雄達にも宇治茶や漬け物ではなく八ツ橋を差し入れしてたし、『自分が幸せを感じるものを無意識に他人にもあげたがる』優しさがある子なんですよ、きっとね。

北海道編で、
剣路の宗次郎への懐き方を見るに、子守りは得意なのかなと思いました。幕末の時代の妾の子がどのような暮らしをしていたのか分からないけど、幼い宗次郎の遊び相手はもしかしたら母だけだったかもしれないですね。
とすると、自然と宗次郎も剣路に接する際自分が母にしてもらったことをしているかも……?アカン、なんか泣けてきた。

宗次郎が父母亡き後、米問屋に引き取られ虐待の日々が始まりますがどうしたら暴行を最小限に抑えられるかを考えながらの毎日となります。
同時に、どこをどう殴られたら痛い、とかも学習していきます。
志々雄に脇差を与えられ、いきなり大人を切り殺せる力量はどこにあったのか。志々雄が逃げてきた時に追っ手を斬る場面を見ていますね。『ああやったら人は死ぬ』をそこで見て覚えたのかと思います。米俵100俵も運べば足腰は鍛えられているし……。

しかしながら、頭で人の斬り方を理解しても『殴られただけでこんなに痛いんだから』と刀を使うことを躊躇う宗次郎。どんだけ優しいんだ君は…………お前を毎日殴っている奴らだぞ相手は。

そして自分の命を守る為に、自分を虐待してきた義家族を斬り殺します。
雨の中で、染みついた笑顔がなんとも悲しいです。泣いているのを隠して笑います。
志々雄に『泣いているのか』と聞かれて『いいえ』と答えたのは、生きていくため志々雄に気に入られる必要があったからではないかと思います。

本当は誰も殺したくなかった、弱いことはそんなに悪いことなのか、と剣心との戦いの中で蓋をしていた幼い日の自分の感情が出てきます。生きる為に人殺しをしてきた自分を正当化する為に捨てたはずの優しさが顔を覗かせるわけです。
しかし同時に、なぜ自分にこんな人殺しなんて酷い事をさせるのか、あなたの主張が正しければ僕のような人間は生まれなかったはずだ、とパニックになります。

助けて欲しかった、のは虐待からもですが人を傷つける道から助けて欲しかったのかなあと私は思います。
剣心に敗れ、志々雄の元から去る決断をしますが彼はまだ救われていないんですよね。

北海道で剣心達と再開した際は平常を保ったニコニコ顔で現れました。
今宗次郎が恐れているのは現実との対面なのかなと思います。
三島栄次のことを誰だか知らないけど、ごめんなさいと言ったのも、今の宗次郎には重責で背負えるだけの度量がまだない、罪の重さが分からない(自分が壊れるから理解したくない)からだと思っています。

だって人殺しをやんなきゃ自分は生きていけない環境にいたわけですから、生きるためには仕方ないよね、でもまあ人を殺すのは悪いことだからごめんなさい、一応謝っとこみたいな。

この『一応謝っとこ』に宗次郎なりのいずれは向き合わなきゃいけないんだろうなあという気持ちが見え隠れしているような気がします。めんどくさいのイヤだから謝っとこ、もあると思いますが。履き違えた平和主義で、相手を更に傷つけることはまだ分からない宗次郎可愛いね。ゆっくり大人になってこ。

北海道編では鎌足や張が兄弟のように、安慈が保護者のように見受けられる場面があります。やめろ私は擬似家族に弱いんだ。
この先、宗次郎が何らかのタイミングで愛情を思い出す時が来たら、罪の重さを同時に知るのだろうなと思います。つらいだろうなあ……でも受け止めて成長して欲しいなあ……己の弱さに向き合う人間ってなんか、内面の美しさや尊さがありますよね。剣心や恵さんにもそれは感じられます。

なので子どもの時の宗次郎の『本当は殺したくなかった』に決着をつけない限り、刀を振るうことは感情を押し殺すことになるわけです。
本当は殺したくなかったけど、起こってしまったことと受け入れて、自分の汚れてしまった部分も自分だと受け入れて、生きていって欲しいなあと思います。いつの間にか宗次郎を好きになって25,6年経ち、当時は年上だった彼をとっくに追い抜いてしまいました。
続きが見られて嬉しいです。ありがとうございます和月先生黒碕先生。

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