つれづれなるまま_クラブ遍歴その1

思い出話その1

2006
大学2年生の春、大学のサークルでクラブイベントを開催することになった。

当初「学祭で作ったものを売る」「フォトショイラレを使わせてもらえる」というところに惹かれて入ったから、いろんな事情はあったものの2年目の方針の変わりっぷりに困惑した。
「ハウスって何?家??」って思ってた。

テレビか、かろうじて雑誌からしか音楽の情報得てなかったから、自分は音楽全然知らなくてつまらん人間だなって思ってた。

名古屋の某イベントグループに大学の先輩が所属してた為、そのイベントに行ったのが最初のクラブイベントだった。

OZON(ヘラルドじゃなくてパルコの方)で開催されててFPMがゲストで今でも活躍されてるハウスDJ達が出演していた…けどほとんど覚えてない。大きな音が楽しいと思えず、徹夜したことなかったので眠かった。
ムーンライトながらで帰ったのは覚えてる。

その直後、クラブ2回目でバイトもろくにしてない頃に手伝ったため、色々気が利かずはちゃめちゃに怒られ、「タバコ臭くて眠いし音うるさいし怒られるしなんでこんなことしなきゃいけないんだ…」と思いながら帰った。
クラブ2回目でキャッシャーとか対応出来るわけ無いなと思うけど、ちゃんとこなせるようになりたい気持ちは後々まで残った。

やめたいと思ったけど、「フォトショイラレ教えてもらえるらしい」というところで「教えてもらったらやめよう!」と続けた。
ここで粘ったおかげで10年ぐらいDTPの仕事が出来てるので良かった。

そのあと試しに作ったフライヤーを先輩に気に入ってもらえて作らせてもらえることになったので、「まぁイベントまではやってみよう」と思って続けた。

夏休みにDaughter(後のdomina)でなんとか開催して、「なんかよくわからないけど楽しい」「この音楽好きかもしれない」となり、結局辞めずに続けた。

気にかけてくれてた先輩以外とはその後もうだうだ揉めてしまい大学卒業後は疎遠になっていった。


2007
結局フライヤー作ったりスタッフやってても集客しづらいし、20歳になるぐらいで「どうせ大学生の間しか出来ないしやってみよう」と思ってDJをやることにした。
house nationとか色々ハウスremixされたようなやつとかJ-POPの四つ打ちみたいなやつとかそんな感じでやってた。

並行してダンスサークルの映像撮影とか引き続きフライヤーとかやっていた。

見てたイベントがライブペイントや映像、ダンス、ショー等音楽だけじゃない色々な要素があるものだったので、この頃はそういういろんな表現が出来る場良いなって思ってた。

DJデビューした直後ぐらいにDaughterがなくなった?という噂に焦ったけど、色々あってcafe dominaになったと聞いて安心した。


2008
大学4年生でもDJの操作が楽しくて、夏でも空調何も無い部室でひたすら練習してた。
引き続きやってたらdominaに声かけてもらってDJをさせてもらえたりするようになった。

当時はコミュ障で全然周りの人と会話出来なかったし、就活等であまり思うように遊びに行ったりもできなかったから、いろんな機会を逃したような気がする。

祖母の入院があったり色々出来てなかったので12月でそろそろ辞めなきゃな〜とぼんやり思っていたけど、dominaに集う人達が色々話してくれたり、かかってる音楽が楽しかったりして「辞めたくないなぁ…」と思った。

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