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真実への目を開く

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私たちが本当に真理を手にしたいと願う時、真実を見ることのできる心の訓練が必要になります。統合への道を進みたい人のための記事です。有料にすることも考えていますが、今のところ無料で公…
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#孤独

毒親を赦すことで起こること

親からの支配を受けて育った もう、感覚的には、遙かかなた昔のように思えて、鮮明には思い出せないのだけれど(事実、真理の視点から見るとそんな出来事ははじめから起こっていなかったのだけれど)、私は大好きな両親から精神的な虐待を受けていた。  時にはしつけと称して暴力的指導もあったし、日々行われる嫌みも横行していた。もともと薄かった親との愛着は、小学校2年生辺りで完全になくなり、そこからは、過度なしつけと、過干渉、支配とコントロール、抑圧、が主に親から受けるものだった。小さな頃か

分離の選択をする時、私たちはエゴのトリックにはまっている

様々な選択肢私たちはいつもさまざまな選択肢から何かを選んでいる。葛藤が起こる時は、必ず目の前に選択肢がある。選択肢が1つなら、物事はなんでもスムーズに運ぶけれど、そうはいかない事情が出てきたりする。 今晩の晩ご飯をラーメンにするか、カツ丼にするかという選択肢なら、深刻に考えず気分によって選んだり、明日はもう一方の選択肢を選んだりして納得することだってできるけれど、私たちが葛藤することは「こうしたい」・「でもそうできない自分がいる」とか「こうしたほうがいい」・「でもそうはでき

一人であることが怖くなくなった話

誰かに関心を持ってもらうことが生き残る秘訣だった自分という人間が、誰からも見向きもされず、忘れられたり、無視されたり、のけ者にされることは、自分の恐怖だった。そんな恐れを持ったのはいつの頃だったのだろう。きっと最初はその注目して欲しい誰かは親であり、それは生き残るために必要な獲得すべき関心だったのだろうと思う。 成長と共に、私たちが関心を向けて欲しい相手は親だけではなくなっていく。友人だったり、関心のある人だったり、時にはもう誰でもいいから、自分に優しい言葉をくれないかとさ

自分が特別だと思うために、私たちはエゴの声を聴く

特別であることは私たちの願いエゴとは、自我のこと。自分を認識する意識だとも言える。私たちの中に愛の意識があるとすれば《愛》は存在同士をつなげ、対して《エゴ》は私たちを分離へ導く。なぜなら、エゴは私たちを個として認識したいからだ。 私たちの中には、認めている人も認めたくない人もいるが、「自分が特別だ」と認められたい意識がある。不思議なことに、自分個人で認めるだけでは納得できず、他者からもそれを認めてもらいたい気持ちが湧いてきて、それは貪欲に、認められても認められても、もっと認