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真実への目を開く

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私たちが本当に真理を手にしたいと願う時、真実を見ることのできる心の訓練が必要になります。統合への道を進みたい人のための記事です。有料にすることも考えていますが、今のところ無料で公…
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#罪悪感

毒親を赦すことで起こること

親からの支配を受けて育った もう、感覚的には、遙かかなた昔のように思えて、鮮明には思い出せないのだけれど(事実、真理の視点から見るとそんな出来事ははじめから起こっていなかったのだけれど)、私は大好きな両親から精神的な虐待を受けていた。  時にはしつけと称して暴力的指導もあったし、日々行われる嫌みも横行していた。もともと薄かった親との愛着は、小学校2年生辺りで完全になくなり、そこからは、過度なしつけと、過干渉、支配とコントロール、抑圧、が主に親から受けるものだった。小さな頃か

分離の選択をする時、私たちはエゴのトリックにはまっている

様々な選択肢私たちはいつもさまざまな選択肢から何かを選んでいる。葛藤が起こる時は、必ず目の前に選択肢がある。選択肢が1つなら、物事はなんでもスムーズに運ぶけれど、そうはいかない事情が出てきたりする。 今晩の晩ご飯をラーメンにするか、カツ丼にするかという選択肢なら、深刻に考えず気分によって選んだり、明日はもう一方の選択肢を選んだりして納得することだってできるけれど、私たちが葛藤することは「こうしたい」・「でもそうできない自分がいる」とか「こうしたほうがいい」・「でもそうはでき

あなたを罰してるのはあなた

罪悪感がすべての原因ずっとずっと昔。「【罪悪感】がすべての原因なんだよ」とある人から聞いたが、私はその後、他のさまざまな理論や原理について学んでいく機会を得ていたので、そのことにずっと注目し続けたりはしなかった。 だって、そうでしょう? 罪悪感? そりゃ良くないでしょうよ。罪悪感と聞いて、暗いイメージを持たない人なんていないだろうし、それが根源と言われたら、まあ誰だって、ちょっとくらい持っているだろうと簡単に想像できる。 だけど、今、私は思う。【罪悪感】こそがすべての原因

他人への扱い方は自分への扱い

他人への批判かつて、私は他人に厳しかった。対外的にはいい人を装っていたが、内心はシビアな感想をいつも持っていた。「それって、こうだからじゃないの?」「そんなこと言っても実際にはできないよね」「いい人に見られたいのね」「中身は子どもだなあ」「もっと考えないとね」。その人には決して言うことはなかったが、仲間と思われる人には「ここだけの話」と言って、愚痴ったりした。 「ここだけの話」をやめようと思ったある出来事きっかけは、ある人からの辛辣な連絡だった。仲良くしていた人から、唐突に

わらをもすがる経験をした人は真実に近い

ヘビーな人生を生きてきた人たち個人的な感覚なのだが、最近思うことがある。厳しい体験を経験した人とは、どうやら共通言語があることが多く、フォローが必要ない、ということだ。 今、私は《霊性や真実の前提ありき》の世界に生きている。世の中の一般の人が私と同じでないことは、長年にわたって、よ~~~く理解したつもりだ。昔と違って、どうやら真実の霊性について素直な感覚で興味を持っている人がグッと増えてきていることに、正直びっくりしているけれど、だからといって、その存在はまだまだ少数派だ。