日記のメモ書き2022/08/11

朝早く起きて墓参りに行く
ひいおばあちゃんがはいってから初めて。
うちの墓は比治山にあるので、いつもABCCの入り口に車をとめてお参りに行く
そこが、ABCCだと知ったのはいつからだろうか
曾祖母も祖父も、検査受けに行ってるみたいね

※ABCC:原爆傷害調査委員会
原爆による影響を調査するためにトルーマンの命でつくられた施設。75年からは日米共同の研究機関(財団法人放射線影響研究所(放影研))に改組されている。広島のひとはABCCと呼んでいると思う。
参考


今日は、曾祖母の足跡をたどって、舟入幸町から江波へ、そこから五日市まで歩いた。8月6日の曾祖母の歩いたのをおもいながら歩く。
体験記をにぎって、歩いてみる。道のりが詳しく書かれている訳ではないので、想定で。旧街道やその頃にあった橋を通る。

孫にあたる私の父と一緒に歩く。
まちは変わってしまっているので、歩くだけで見えてくることはあまり少ないけれど。ただ歩いてみる。

少しの休みを入れて3時間半の道のり。
日暮れに五日市に着いたというから、休み休み、隠れたりしながらとはいえ、長い道のり。一歳になる前の赤ん坊を連れて、火の熱さと太陽の暑さ。
逃げる人々の様子をおもう。
すれ違うひと、まちの様子、川の様子、空、気温、
どの辺りまで家は崩れていただろうか。橋は無事だったのか。何かを口にしたのか。周りはどれくらい畑だったのか。

井口に入った辺りで、道ばたで鳥が死んでいた。他の動物に食われたのか、真っ赤で、ほとんど毛も残っていない。骨の形だけでしかそうとわからない遺骸。
「血もぐれになっているひと」
ひとがあんなふうに真っ赤だったのだろうか

曇っていて風もあって、それども随分暑くて脚もいたい
途中で飲みたいときに水が飲めるのも、店に入ってアイスを買えるのも
少し後ろめたい
歩き終われば涼しい車、おいしいお昼ご飯
あの日、着くまでになにを口にしたんだろうか。そもそも、お腹が満たされた状態で朝を迎えていただろうか。どんな食事をしていたんだろう。
五日市ではご飯を食べれただろうか。

五日市に着いて夜中、お寺の2階にあがったら、燃える市街からの熱で熱かったと書いていたから、ずっと熱かったはず
川も入れるような状態じゃなかったかもしれないし、休もうにもたくさんの人が居たかもしれない

歩き続けているとただ歩いているだけになってくるのだけど、
手元にもっていた体験記をひらいて読むと、ひぃばあちゃんのあの日を歩くところにもどってこれる

ひぃばあちゃん体験を読むことは、彼女のに近づくと共に彼女がだ会った様々なひとに出会うということ
すれ違ったひと、見かけたひと、言葉を交わしたひと

ふと思ったのは、すべてを書いていないかもしれないということ。
分からないけど、語れなかったこともあるかもしれない。意図的に語っていないこと。
もう詳細が出てこなくて語れないこと。必死だったはずだから。

疲れて眠い。家に帰って随分寝ました





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?