考察:日月神示
「人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない。」ヨハネ15:13
(※自殺しろって事じゃなくて、友の為に命がけで生㌔ってコト)
コロナ禍における日月神示の注目で、旧約聖書との関連を注視している人がそれなりにいるであろうから、それを信じる人にとっての日月神示の答えとして結論から先に述べた。
日月神示の身魂磨きのスタンスとして、唯々諾々と言いなりになっているだけの身魂は不要、とある。つまり「身魂磨いて自分だけ助かればいい/他は勝手に滅びろ」、というスタンスは最大級のNGなのである。
当然ながら、自分の栄誉のためだけに疫病が流行っている中で我関せずを決め込むのもNGであろう。滅びを待つ心は悪、とはっきり書かれている→滅びを一日でも遅らせて欲しいと祈り、少しでも被害を減らして欲しいと祈り、一人でも多く救うための行動期間が今であり、その人材が身魂である。
より良い世界を望むと言いながら、「誰も救おうとせずに終末を待ち焦がれているような人々は自らの破滅を待ち望んでいるのに等しい」と言える。逆に、「あと1人でも多く救いたいからもうちょっとだけ待っててお願いプリーズ!」と祈り続ける人こそ「身魂磨かれている人」なのであろう。
日月神示でたびたび名前の上がる神が、YHVH(唯一神/至高神/国之常立神etc)…キリスト教、イスラム教、ユダヤ教などで多数の名前を持つが、その全てがただ1つの存在を示している。女神転生などでおなじみの、知る人ぞ知る創造主。"The Creater"/"The One"/"The Origin"/"The Low"…あらゆる生命、自然、動物、芸術の神であり、愛と正義と公正の神である。
「悪魔より多くの人を殺した神」などの汚名を着せられているが、救った人間は数知れず。「お腹空いた」と言えば食べ放題を開催したり、「喉乾いた」と言えば地面から湧水が、「改心させるからもうちょっと待って」と言われれば天罰も待ってくれたりする(改心したら天罰も取りやめてくれる(!!))という、堅物ではなくかなり話のわかる粋で人情派の神様である。
唯一神、至高神と言うと、近寄りがたい感じもするが、ごく分かりやすく言うなら全てのペットの神様である。猫好き、犬好きを始めとするペット愛に溢れる人、保護猫、保護犬、動物愛護のボランティアなどに参加する人ならその守護神です。と言えば、非常にわかりやすく1番信仰すべき神である。
もっとわかりやすく言うと、唯一神「猫と犬作ったの俺!動物好きならウェルカム!友達になろうよ!」である。
交通安全、金運、縁結びなど色々願いはあるし、猫神社などもたくさんあるが、ペットに関してはこの神様が1番で間違いない。
ポケ〇ンの神がゲー〇フリーク(任〇堂)なら、
アニマルの神はYHVH(正式発音不明/失伝)なのである。
さて、殆どの宗教では「神の奴隷」が多い中でなんで「友達になろうよ!」…と書いたのかというと「神の奴隷」とは別計算で「神の友」という立場が実は存在するからである。ここではせっかくなので、「神の奴隷」じゃなくて「神の友」を目指すことについて解説しよう。
知る人ぞ知る話ではあるが、最初に「神の友」と呼ばれたアブラム(後のアブラハム)は人類(厳密にはユダヤ人)の祖となって、「やあマイフレンド!いつもありがとう!きみの子孫が空の星、海の砂ほどに増えるのを約束するね!」と「神の友として愛された」結果、子宝をn億分以上獲得したのである。
また、例外的な聖人としてエノクは「神と共に歩み、神によって(生きたまま天に)連れ去られた」とあり、「死んだ」と書かれまくっている他の人物達とは一線を画すほど愛されていたことが分かる。
「10人正しい人がいたら滅ぼさないでください」→「やっぱ5人」→「1人…」→「0人…orz」と天罰で滅びたソドムとゴモラの人々の為に神と交渉したロトも「神の友」と言えるだろう。
(# ゚Д゚)「滅ぼすって言ってたのになんで滅ぼさないの!?マジなんなの!?預言者で遊んでんの!?ちゃんと滅ぼしてよ!」
( *´艸`)「ヨナのおかげでみんな改心したからもういいんじゃ…滅ぼすのが惜しくなったんじゃよ、いまなら気持ちわかるじゃろ?」
(# ゚Д゚)「…」
(# ゚Д゚)「…」
(´・ω・`)「…うん、わかる」
という、ヨナも「神の友」なのだろう。勇気を出して死の宣告したらみんな改心して、かえって立場がなくなった預言者ヨナと神との恥ずかしい楽屋裏?のやり取りはヨナ書にしっかり残っている(本人が猛省して後世に残したと思われる)
このように、ただ神の下僕として派遣するだけでなく、預言者の人間性の成長も踏まえて指示を出したり、日本昔話に出てきそうなエピソードはごろごろある。
教会では「神の奴隷」として云々、という表現が当たり前になってしまっているが、人間が作られた当初の目的は何だっただろうか?
考えて欲しい。あなたが何でも作れて、世界にたった一人だったとしたら。欲しいのは奴隷や家事ロボだろうか?
素敵な家族や自慢の友人や可愛いペットが欲しくはならないだろうか。
神は人類のなかに、
「神の友」としての可能性を見出したのではないだろうか。
そのために「神に似せて人を作った」のではなかったのか。
善と悪を両方知りながら、それでも良い友でいてくれることを望んでいたのでは無いのだろうか。
人類の友と言われる犬や猫と同じように。
「神の家畜(奴隷)」として?
「神のペット」として?
それ以上に「神の友」として?
あるいは「神の家族」として?
「神の奴隷」を押し付けてくる宗教はたくさんあって、正直耳を塞ぎたくなるけれど、「神の友を目指して欲しい」という志の高いものがあれば、それがきっと身魂磨き…なのではないかなと思う。
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