改めて、どうして私が相続税について情報を発信しようと思ったのかについて
皆さん、こんにちは。
「相続が分かるnote」の佐々木です。
もう一つのnoteでも書きましたが、私は只今北京に一ヶ月間滞在していることもあり、全然更新できておりませんでした...
またペースを上げて更新していきたいと思います。
さて、突然始まったこの「相続がわかるnote」ですが、そもそもこのnoteを始めようと思ったきっかけについてきちんとお話していなかったので、今回は改めてその理由について話してみたいと思います。
※このnoteは約7000字です。
相続のことを発信していこうと思ったのには、主に下記のような理由があります。
相続税について発信しようと思った理由
①わたしたち世代にカネが回ってこないことに憤りを感じた。
②税金について勉強することがほぼないこと。
②もめて喧嘩別れ、絶縁状態になってしまう人が多いのが悲しかったから。
③自分の努力するポイントをずらそうと思ったから。
まず1つ目です。
①わたしたち世代に「カネ」が回ってこないことに憤りを感じた。
まず1つ目です。
昨年、大学の授業で教授がゼミでこんなことを話しました。
「わたしたちが払った税金や国に納めたお金は、大きく分けて以下の4つに使われる」
①社会保障
②国債
③公共事業
④投資
そして現在その割合がどのように推移しているかが下記です。
①社会保障 → どんどん増大
②国債 → どんどん増大
③公共事業 → 簡単には減らせない
④投資 → 自動的に減少
その結果が下記のグラフにあらわれているように思います。
(参照)
これは今から10年ほど前のグラフですが、国債費と社会保障費で全体の半分を占めております。
きっと今統計をとったらこの傾向はさらに深刻化していることでしょう。
これはわたしたちが生まれるずっと前から予測されており、その兆候は見られていたものの、改善することはできませんでした。
なぜなら、この問題があまりにもフクザツで大きな問題だから。
そして、構造的な問題から起因すると考えているからです。
ここでいう「構造」とは、
「高負担、高福祉」か、または「低負担、低福祉」かずっとどちらかに舵を振り切れずに、今もどっちつかずである、ということです。
これまでの日本は高度経済成長と人口ボーナスによって、急速に発展していきました。日本には、その時蓄積された内部留保があるので、これまではこの政策で保てていましたが、これからの時代は全く機能しません。
「働かない年齢層がますます増大し、税収は減る。若者の政治離れは進み、大量の票を持っている高齢者に逆らった法律はもちろん通せない」
こんな状況で国の舵取りをするのは非常に難しいことだと思います。
ただいま北京に滞在していて、やはり日本のインフラは整っているなと改めて感じます。
今私が滞在している北京では、水道の水は濁って飲めないし、警察は腐敗しているし、なんというか中国人同士がお互いを信頼していないように感じます。病院は日本とは比べ物にならないくらい激混みです。(現地の友達によると、朝の6時くらいから並ぶらしいです。)
アメリカには行ったことはありませんが、救急車に乗るだけで数万円が飛ぶという話を聞いたことがあります。
その点、日本は医療費の大半を国が補助してくれて、生活保護で最低限が保証されています。
日本に生まれただけでも幸せなことだと感じます。
ですが、「そうは問屋が卸さない」というか、やはりその裏には何かがあります。
それがはじめに書いた、「国債費」と「社会保障費」の急激な上昇です。(国債費の考え方に諸説あるのは承知の上です。)
政府は、膨大な得票数を持つ高齢者の反感を買うような政策はなかなかとれず、その結果、みんなから集めたお金は、上記に上げた項目にどんどん吸収されてしまい、若者へお金が回ってきづらいと考えます。
また、「金融資産1600兆円の7割は高齢者が持っている」ともよく言われます。
それに比べ、20代の貯蓄額はかなり少ないです。
長く働いてきた人のほうが貯蓄ができるのはある意味当然のことでもありますが...
ただ、これは構造的な問題であるため、すぐにどうにかするのは非常に難しい。
これに不公平を感じている私と同世代の人も多いと思います。
少し前ですが、自民党の麻生氏が
「(老後が心配と言っているが)、何歳まで生きるつもりだ」
と発言し、炎上したことがありました。
私は、20代でも80代でも命の価値はあくまで同じだと考えます。
ですが、
20代と80代でのお金の価値は残酷なほど違う、とも考えます。
少し想像してみてください。
20代で結婚や子供を持つことを考えているカップル、30歳前後で独立して自分の道を進もうとしている人。
かたや、80歳前後で、治療が困難な病気にかかり、1年の延命をするために高額な治療を受ける人。
どちらの必要経費も仮に1000万円だと仮定した場合、果たして、その1000万円は同じ価値を持つでしょうか?
私はそう思いません。
最近、そのようなことを考えさせる1つの出来事がありました。
北京に滞在する数日前、仕事で忙しい両親に変わり、足腰が弱っている祖母の病院の付き添いで静岡の実家に帰りました。
移動中の車中で、祖母が一言、
「何も生み出せない老人は生きているべきではない」
と言いました。はじめ、私はその言葉の意味がわかりませんでした。
ですが、頭にその言葉が残り、東京へ変えるバスの中でもずっと考えていました。
体力が衰え、社会から阻害され働くことはできず、かと言って死ぬのも怖いから治療も行う。それはどんな感じなんだろう。
祖母は、強烈な自己矛盾に陥っているようでした。
「命の価値は平等」という言葉は、大義名分としては眩しすぎて、それ自体に疑問を持つ余地がありません。
ですが、一度疑問を持ってしまうと、そこから抜け出すのはかなり難しいです。
「高齢者ばかり金を持ちやがって」、「若者にも金を回せ」
という言葉は、正しいですが、その一方で自己矛盾に陥っている高齢者をさらに追い詰めます。
医療の発達によって、寿命は信じられないくらい伸びましたが、わたしたちの死生観は変わりません。
「長生きしたい。なぜなら、”死”はやっぱり怖いから。」
その結果、わたしたちは適度な死にどきを見失いました。
では、この問題を解決するにはどうしたらよいのか。
私が出した答えは、2つあります。
①高齢者の個人資産がきちんと消費に回るようにする。
②高齢者それぞれの死生観に応じて、適切な死に方を身内で考えておく。
まず①です。
先述したとおり、高齢者の個人資産は日本人全体の7割とも言われます。
これは確かに大きな問題ですが、一方で高齢者の立場に立って考えると、それもある意味仕方のないことだと思います。
日本のシステムは、特殊な例外を除いて70歳を超えた人を雇用しません。
日本の高齢者は、定年を迎えたあと、自分がそれまでに蓄えた、試算と、国から支給される年金だけで生活しなければなりません。
医療の発達によって、「人生100年時代」と言われて久しい昨今、残りの20~30年間を自分の稼ぎゼロで過ごすのは、確かにお金がいくらあっても心細いものなのかもしれません。
高齢者がお金を使わないのは仕方がない、でも、自分の親、祖父母が死ぬときに備えていろいろと準備するのもやっていかなければなりません。
そして、ここでポイントなのは、
「政府を介さず、高齢者と若者が "直接" 繋がる」
ということです。
先述した通り、政府は回収した税金を国民に一律には支給しません。
大半は大幅に増える高齢者に対処するため使われます。これはひと目には "消費"でも、新しいものを生み出す消費ではありません。
相続は、一言で言えば、「遺産の引き継ぎ」と言えます。
その遺産は、家族のものです。政府のものではありません。
ですが、これからの多死社会、政府は相続税からの税収をかなり当てにしています。それは、相続税の基礎控除を超える人が大幅に増えたことからも伺えます。
細かい税制は毎年改正されますが、税率や対象となる人が増えることはあっても減ることはないと思います。
また、政府は主に都市部ではベットの空き不足等から、病院での見取りから在宅での見取りへと方針を転換しようとしています。その結果、「ヤングケアラー」や「介護離職」等、面倒を見る身内の負担は増加の一途をたどります。
仕事やプライベートのかなりを犠牲にし、最終的には国に持って行かれるということに、わたしは強い憤りを感じました。
介護を受ける側の高齢者だって、遺産は国ではなく、これまで面倒を見てくれた家族へ渡したいと考えるはず。
先述したように、政府に渡ったお金は、わたしたちが望まない形で使われることが多く、その多くは「投資」とは言えません。
また、そのお金はわたしたち若者へなかなか回ってきません。
①の、「わたしたち世代にカネが回ってこないことに憤りを感じた。」
とは、こういった意味があります。
②高齢者それぞれの死生観に応じて、適切な死に方を身内で考えておく。
次に②です。
これは相続税とは直接な関係はありませんが、大事なことだと思います。
先述したように、日本では寿命が世界でもトップクラスであることを誇るばかりで、その影に隠れた健康寿命と平均寿命の間の年月に焦点が置かれることはあまりありません。
また、日本では高齢の方の前で死や遺産の話をすることは、ある意味でタブー視されています。問題を後回しにし続けた結果、高齢者の方それぞれの死生観がわからないまま、延命治療を選択される家庭もかなりいらっしゃると思います。
その結果、延命の医療を受ける高齢の方、またそれを支える家族皆が疲弊してしまいます。
相続の話以前に、自分の両親や祖父母がどのような最後を迎えたいのか、話し合いができれば、相続もよりスムーズに進むのではないかと思います。
②税金について勉強することがほぼないこと。
次に、2つめの理由です。
学校では税金について教えてくれません。
私が税金関係で学校で初めて習ったこととして記憶しているのは、
「日本人として生きるなら、下記3つの義務は守ってね」という、日本人の三大義務だったように思います。
日本人3大義務
“教育の義務”
“勤労の義務”
“納税の義務”
「税金を払う=義務」
という教えが、私が「税金」に関してはじめて持った感想でした。
その後の教育で税金について学んだのは、
「サービスを受けるには何をするにも税金がかかり、代表的なものに消費税がある。」
「税金は、わたしたちの社会を運営する上で大切に使われる」
くらいでしょうか。
小学生から14年間もの長い学生生活を振り返ってみても、誰もマイクロ法人を作って節税する授業や、確定申告のやり方を教えてくれる人はいませんでした。残りの学生生活でも、こういったことを教わる可能性はないと思います。
税金について無知なまま社会にでると、税金を払うのは義務、という教育を植え付けられたわたしたちを待っているのは、
「会社」が「源泉徴収」という形で、勝手に税金を天引きして「くれる」
「国」が、社会を良くするために、何重にも税金を徴収して「くれる」
世の中。
学校を卒業したら、なおさら誰も教えてくれなくなり、全てが自己責任になります。
知ってるのも知らないのも全て自分次第。
国や政府にとっては、
相続税は直接税であり、誰もが人生のどこかの局面で、必ず向き合わなければならなくなります。
税金について誰も教えてくれない一方で、税体制自体はわたしたちにわかりにくいように非常に複雑なものになっております。
相続税の申告期限は被相続人の死後10ヶ月以内に行わなければなりません。
身内の死によって悲しみの底にある親族に、たった10ヶ月でこの複雑な仕組みを理解するのは困難を極めると考えます。
③相続税についてもめて喧嘩別れ、最悪の場合絶縁状態になってしまう人が多いのが悲しかったから。
相続は、基本的に時間が経てば立つほど、みんなが満足して相続することは非常に困難になります。
被相続人が存命だったら取れる選択肢も当然のことながら増えます。
ただ、たとえ生きていても、認知症が進行したり、寝たきりになってしまって意思の疎通が困難になると、状況は変わってきます。
何事にも言えることですが、早め早めに動いておくことは重要なのです。
「うちはそんなに財産がないから、関係ないよ」
という方、
自分の親が仮に50万円の財産を遺して、それを自分の兄弟に全部渡したとしても同じことが言えますか??
また反対に、自分の両親が隠していた借金があり、放棄できる期限が過ぎていた場合はどうでしょうか。
皮肉なことですが、相続において、財産が少ない家庭ほど、揉める可能性が高いとよく言われます。
理由は簡単です。
① 富裕層ほどかかる相続税が高い。
② ①の結果として税金について自分で勉強していることが多い。
遺産分割で揉め、最終的に親族の仲がこじれてしまうことも結構あるようです。ただ、私は、長年親しい関係を続けてきた親族同士が、たった一回の相続で絶縁状態っぽくなってしまうのはとても悲しいことだと思います。
しかも、その関係が子供世代、孫世代に渡ってなんとなく引き継がれる可能性もあります。
本来一番親しい関係にある家族が、国の制度に振り回されて関係がこじれてしまうのはとても悲しいことだと思います。
④自分の努力するポイントをずらそうと思った
私のこれまでの21年間の人生で、常に痛感していたことがあります。それは、
「私は特別な存在ではなかった」
ということです。
私はこことは別のnoteで、ざっくりと
「これまでの人生で、自分に特別な才能が何かあるわけではなく、だったら他の才能がある人の人生を助ける人生を歩みたい」
みたいなことを書きました。
こんなことを言うとかっこよく聞こえますが、要は、普通にやっていると普通の学生に負けてしまうということを自分が一番わかっているということの裏返しでもあります。
わたしは「自分を1つの”商品”として捉える」という考え方が好きです。
今の学歴も、これまでやってきたことも一旦横において、「今」何ができるかと考えてみる。
悲しいほどに特にありません。
ということは、私を買ってくれる人は誰もいないということです。
商品は、買う人が「欲しい」と思わないと売れません(当たり前ですが)
自分がどれだけ価値があると思っていることでも、他人が、社会が価値を感じなければそれは単なる独りよがりだと思います。
来年、予定では就職活動があり、またこれからの長い人生で転職の機会は幾度となく訪れると思います。
ここで「私を採用する人」=「客」だと考えた場合、
採用する人、またその会社にメリットを与えないと契約は成り立ちません。
私が価値を与えられることは多くありません。工夫が必要です。
業界分析も大事だとは思いますが、
「御社の業績は....〇〇」、「御社はこういった施策をとるべき...」
とかいった話ですでにその会社にいる人に勝てるわけがありません。
また業界分析をみっちりやっている人にも私は勝てません。
そんなことより
「あなたの相続税、私が100万円節税します!!」
とかのほうが、インパクトがあり、その会社にメリットになるのではないかと考えました。
なぜなら、客である面接官が悩んでいることは、年齢にもよりますが、概ね下記3つほどに集約されると思うからです。
面接官が悩んでいること
①子供の進路
②親の介護、相続
③昇進、転職等
このうちの1つを少しでも解決できれば、大きな価値を与えることができることができると考えました。
こういった諸々のことを含めたのが
④自分の努力するポイントをずらそうと思った
です。
...以上いろいろと知ったかぶりで偉そうなことつらつらと書いてきましたが、私が相続税の勉強をはじめたのは本当にココ最近で、私よりも専門職で活躍されている方のほうが当然のことながら知識は豊富です。
今の私が知識の面で彼らに太刀打ちすることはできません。
私の最大の強みは、相続についてほとんど何も知らない方と同じ目線に立てることだと思います。なので、このnoteの目的を、
「相続を迎える際に、専門職の方と対等に話せること」に置きたいと思います。
そしてなにより、これを読んでくださるみなさんが、賢く、優しい気持ちで相続を迎えられる一助となれば、嬉しいなと思います。
一緒に相続について勉強していきましょう!!
ここまで読んでくださりありがとうございました。
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