2波目: 韓国語を学んで何になるのかと考えてしまう

今日、4月10日は、韓国語能力試験を受けてきました。
学生時代にそこそこ集中して韓国語を勉強していたときに1度受けたことがある試験でしたが、実に7年ぶりくらいの再受験です。

この試験は、例えば韓国に留学したりするとか、韓国系の企業に就職するときなどに、韓国語の能力を証明するために使えるような、正統派な試験なのです。
昨今の韓国ブームが後押ししているのか、今日の試験場にも、年齢の若い受験生がたくさん、本当にたくさんいました。
彼女たち・彼たちは、この試験を受けて韓国へ留学をしようとしているのかな。それとも韓国の会社に入ることを夢見てるのかな。大好きなアイドルのコンサートでアイドルたちが喋っていることが分かるようになりたいとか、思っているのかな。もしかすると韓国人と恋愛をしてみたいと思っているかもしれないな。
どれも想像するだけでわたしがワクワクしてしまいます。楽しそうだな、素敵だな、そういった目標とかが叶うといいね。

でも、わたしにはそういうものがないのです。
久しぶりにこの試験を受けたのは、去年1年間、学生時代ぶりに韓国語を学んだからその腕試しをしてみたかったからでした。好きなアイドルは特にいないし、韓国のラジオはよく聞くけれど、「もっと内容を理解したい!」と思うわけでもないのです。逆にある程度聞き取れないくらいが丁度いいBGMになったりすることもあったりして。

わたしがこの試験を受けて何になるんだろう?
と、思わず考えてしまいます。
さらには、
わたしが韓国語を学んで何になるんだろう?
と、考えてしまうのです。
わたしの人生で韓国語を書いたり話したりする場面は、ほとんど皆無なのに。お金を払って学んで、時間をかけて50個程度の単語を新しく知ったところで、一体それがなんの役に立つのだろう。

で、ちょっと考えてから、あぁ…わたしは忙しい世界に毒されてしまっているなあ、と思います。
その行動の先に利益とか、目的とか、そういうものがないと、行動そのものをする価値がないと考えてしまう。
その行動をしたいからとか、その行動そのものが目的であることがなんとなく、いけないことのように感じてしまうのです。

だめだ、だめだ。そういう考え方じゃなくって、もっと子供のように「これがしたいからこれをする」みたいに生きなくては。そういう風に生きたいなって思ったはずなのに。
でも、そうやって思い直しても、月曜日が始まって、会社に5日間勤めると、あっというまに利益至上主義の考えに戻ってしまうのです。
仕事をしながら子供らしくいつづけるのは難しいのかもしれないです。
うーん。

もし、仕事をしている間はそういう利益至上主義の考え方から抜け出せないのなら、せめて週末は「これがしたいからこれをする」時間にする、と区切りをつけてできたらいいのでしょう。
言うは易く行うは難しな気もしていますが、少しでもこういうふうにできる自分になれたらいいなって思います。


自分のやりたいことも、週末に考えると「楽しい!わくわくする!!」って思うのだけれど、平日の仕事中に考えると「それで食べていけなかったらどうするんだ」「それをやって何になるんだ」って腕組みをして白い目を向けるわたしがいるんです。
週末のわたしと平日のわたしがせめぎ合っております。
明日からまた、平日のわたしが少し強くなる日々になります。
週末のわたしよ、ちょっとしんどいかもしれないけれど、息を潜めてあと5日まっていておくれね。