映画:あん

桜の木の下で小さく営業しているどら焼き屋、店長はちょっと愛想のないミドル男性。最初、どうしてどら焼きの店長やっているかわからなかったと感じる不自然さ。少なくとも好きで自分で始めた感じではない。
そのどら焼きの匂いに導かれ、ある老女が訪ねてくる。アルバイトの張り紙みて自分を雇って欲しいという。店長はアルバイトとして、老女を想定していないから断るが、あん 作りが得意といって老女手作りのあんを食べて、心に残る。とても美味しかったのだ。

再び彼女が現れた時に、店長はあんを作ってくれと頼む。老女大喜び。
老女のあんは、半日がかりで作る。日が昇る前からの仕込み、丁寧に仕上げる。老女は言う。あずきの声を聞いている、と。どこで育ってどうやってここにたどり着いたのか、と。
そしてできるあんが評判を呼び、お店は夏にもかかわらず大繁盛した。

しばらくして、店のオーナーがやってきた。評判なのはいいが、老女がハンセン病だという噂がたっていると。ハンセン病は、昔人間を奇形にすると恐れられていたのだろう、隔離され差別されてきた病気だ。もちろん、感染病でもないし隔離させる必要はない。ただ日本の歴史としては、酷い差別の傷跡が残っている。
老女がハンセン病であると、誰からか街に伝わった。店に人が来なくなり、老女も去った。
しばらくして、老女や店長と仲良くなった女子高生が家出してきた。それを機に老女を訪ねる。

老女が住んでいたのは、隔離されたもの同士で生活していた施設だった。そこで老女はあん、を作っていた。老女の友人(同じくハンセン病)とお菓子を作って働いていた。
老女との仕事で、不自然に仕事していた店長は、仕事が楽しそうになってきた。あん、を美味しく作りたい、という向上心がでてきた。老女と労わりあいながら仕事していた。
老女を訪ね、ハンセン病の施設の実態を目の当たりにして、店長は自分の過去を手紙で老女に伝える。実は店長は、居酒屋での喧嘩に巻き込まれ相手に重度の障害を負わせて服役していた過去を持つ。それでも服役中に励ましてくれていた母は、服役中に亡くなったことも未練が残る。頭が上がらない人生。
服役後に色々とお世話になったオーナーの元で今の仕事についた。
何も夢などは見れない人生ときめているが、そこには報いたいと甘いものが好きではないのに、どら焼き屋に至る。

オーナーや自分らの罪に報いたい気持ち、老女のあんを口にした時に、美味しい、これでいきたいと思って働きかけた誠実さ、老女を気にかけハンセン病と噂されても自身は態度を変えることない優しさを持ち合わせている店長。

そんな中、オーナーが自分の甥っ子を連れてきてどら焼き屋を業態変換するという。折角見出した自分を表現できる仕事を犯されそうになったその局面でたどり着いたところは、再び老女のところ。しかし、彼女は3日前に肺炎で亡くなっていた。

友人が形見などわけてくれる。老女が長年つかっていたあんを作る時の調理器具、老女のメッセージの入ったカセットテープなど。
最後のメッセージには、老女はあんの匂いに惹かれたのではなく、自分時の同じ悲しみを背負った感じがした、病気の偏見で産むことができなかった自分の子供がもし生きていたら店長ぐらいの年だったこともあって声をかけたという。
彼女は店長の背負っているものわかって、自分達がもし“聞くために“生きているなら、何も成し遂げなくても生きている意味があるのではないか?とメッセージを残す。
店長はそれを感じとって、自らのあんでどら焼き屋に挑戦する腹をくくる。最後は、再び訪れた桜満開の季節に、屋根のない公園で自作のどら焼きを声を出して売る店長の姿。

老女は子供の頃に家族に見放され、結婚しても子供を産むことも許されない、世間から隔離されて生活しながら、それでも、あずきの声を聞きながらただそのあずきが美味しくなるために、あんを作り続けた。それは人々の心を打つものを作りだした。
聞くために生きる、というのは本当に素敵だと思った。彼女の言う通り、聞くだけで、ちゃんと聞いて生き様に反映されるならそれは十分に生きている意味になる、と思った。でも、それはとても難しい。難しいからこそ、日々の生きがいになるのか。きっと腹をくくった店長もまた挫折はくる。壁にぶつかる、でも向かう姿が生き様になるのか。

人間をとても自然に描いている素晴らしい映画でした。さすか河瀬直美監督。

他にも色んなことを考える機会にもなった。それは言葉にできない。紹介してくれた方に感謝。

また、今回Amazonビデオで借りたため、急遽買っfireTVにも驚かされた。
USBメモリみたいな大きさの機器を差し込むだけでネット接続されてテレビで動画が見れる、、、Amazonプライムだと無料だし、、
ちょっと知らぬ間に世の中は進歩している。

#見た映画

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